皆様、泣いても笑っても(泣かないか。)これが最後の章になりました!

最終特別版の本日は、30分延長してお送りする拡大版です。
ウザいかとは存じますが、どうぞ最後までお読み頂けます様、
心からお願い致します。








彼女の新しい住まいへ向かう車中で、

これで、やっと私の生い立ちの話しが、出来るのね、



と薗子は言った。



僕は、以前に母から聞いた興信所経由の れあの経歴を隠さず言ってみた。




そうよ、その通り。


町田で教会の牧師をしていた父は、私の弟が生まれた後ほどなくして信者の女性を好きになってしまい、二人は一度別れるが、半年後父は単独自動車事故で亡くなり、その後その女性も自死を選んだ。



と薗子は話した。


父親が、残された母子が暮らしていけるだけの保険をかけていたため、
若い主婦とのスキャンダルを振り切るかのように母は教会を人手に渡し、海外へ渡った。


それから、、、
フランスの小さな教会の敷地内に住み、手伝いをしながら母は細々と生活し、
薗子はそこで初めてバレエを習った。
ランスの街での生活は言葉も通じず辛い事も多かったが、バレエは楽しく、赤い蝙蝠のあざが発見されるまでは楽しい事も多かったと言う。
しかしある時アラベスクの最中に袖が上がってあざが見つかってしまい、何人かの心ない女の子たちにからかわれるハメになった。




そして、薗子はそれきり、バレエ教室には行かなくなり、庭だけが、彼女の秘密の花園になって行った。




そんな折、子供に恵まれず跡取りの養子を探していた輸入会社の社長夫妻が母を訪ねて来て、夫人だけはランスに残って暫く近くに住み、薗子とまるで親戚の叔母のように暮らし、半年後、2人は日本に帰国する。



そこで、薗子は藤本薗子から牧野薗子へと戸籍が変わったが、名前もこの時から洗礼名の礼愛(れあ)を使う事が多くなった。


しかも父親になった社長は、夫人と養女が帰国するまでの間に、住まいを世田谷から会社のある横浜に転居しており、薗子と新しい母親が住む新築の家も出来上がっていた。



近所も誰も、5才の薗子を養女だとは思わなかった。そして、そこでの暮らしは、女優の牧野礼愛を知る人が聞き及ぶところの、
ピアノ、絵画、バレエ、英語、タップダンスなど、何でも習わせてもらえる女の子、社長令嬢の彼女がいた。



しかし、薗子はフランスにいる質素な母の事をいつも常に忘れた事はなく、その後も年に一度は育ての母とランスを訪ねている。



「今のお母さんって、僕も会った事あるけどいい人なんだね。ふつう、、、生みの母親にそんなふうに会わせないよね。」


「ああ、話してなかったわ。母と今の母は女学校時代からの親友なのよ、実は。横浜のエリス女学校を出ていて、ずっとずっと13才の頃から何十年も友達よ。」


だからふつうの養女みたいな苦労は私にはなかったと思うわ。


むしろ私の母が、 甘やかし過ぎないでね、と牧野の母に強く言っていたのよ。





「そうか、そこだけは幸せがいっぱいの話しだね。」




日曜日の道は局所的な渋滞が多かったものの、
1時間もすると、新しい住まいに着いた。


「ここは、、、三鷹市なの?」

「ううん、調布市よ。」



僕は東京の市と呼ばれる所に住んでいる人を訪ねるのは初めてだった。
OO市は近くて遠い所だ。




渋谷区に実家があり、薗子と麻布に住み、友達は皆都内で23区だ。





調布かぁ、何だかワクワクする。
と、言う僕に、面白い事言うのねと薗子は笑う。エレベーターから降りるとそこは今までの住まいよりずっと高く、遠く調布基地や所々に畑なども見える。



鍵穴がカチャリと音をたて、
僕に緊張が走る。
知らない女の子に誘われて部屋に行くみたいだ。


そして驚く事に、部屋は全くシンプルでモダンな家具で飾られていた。




あの、、、


ヨーロッパのアンティーク家具は?




小さな声で尋ねる僕に

劇団員の女の子の実家にあげちゃった。
大好きみたいだったから。
と、薗子はあっけらかんとしていた。



アメリカに行っている間、麻布のアパルトマンは家賃が高いでしょう?
と言う。


しかも何だかこっちの方がせいせいした感じだし。
今までの所は3階で見晴らしも良くないし、日当たりも良くないし、窓から見下ろす道路がパリの裏通りみたいだったもの。



え?家賃?

じゃあ、、、向こうに来てくれるの?



バカな事を聞いているな、と自身でも思う。
そんな、アメリカで一緒に暮らせるわけなどないだろう、と思ってはいたのだが。




そうよ。暫くうちに、ちゃんと一緒に住めるわ。

ほぼ1年前から仕事を減らして行っているし、あとCMの仕事をこなして、決まりかかっている映画の仕事を1本お断りして、あとはTVの仕事を予定通りにこなしたら、暫く休業するわ、と薗子は言った。



4か月でアメリカに渡れるかな、と言う。

その前に一度、貴方の住む所へ一緒に行ってみたいな、と紅茶を淹れながら言う。


礼愛は、いや、薗子は、
本当に僕と結婚し、仕事をやめてもいいと思っていたのだ。

かつて二人の結婚話しは何度も語られて来たが、
それは、本当の気持ちで嘘などなかったが、
実は、心のたった一つの場所で、疑われ否定されて来たものだった。


きっと、お互いにそうだったに違いない。
僕は仕事を辞めて欲しいなどと思った事はなかったが、それでも、
実はいつかこの思いがうやむやになり、結婚話も次第に消え果て、やがて別れていく結果になるのではないか、と考えていた。
そのくらい、この仕事は一般的な幸せを打ち消すものだ。



しかし今の薗子にそんな猜疑など、どこを探しても見当たらなかった。




紅茶を飲む前に色々な部屋を開けてみた。
LDKも広いが、部屋数もある。まだまだ段ボールだらけの部屋もひとつあった。



「広いね。片付けたら広すぎるだろうね。
アメリカから帰ったら、もう少し狭い所へ越してもいいよ。」

「ワタシね、ここ買っちゃったのよ。」

「えっ?だって。」

「3か月前くらいかな?エリス女子大時代からの友達が、旦那さんが海外勤務で一緒に暮らしていて、ずっと日本に帰れない事が決定したから売りたいって言ってたのを思い出して買ったのよ。司法書士しか入らなかったから仲介料もいらない。安かったし、人に貸してもいいと思って買ったのよ。」


振られて麻布にいるのも気が塞ぐじゃない、と薗子は言った。
又今回もし、このトリック劇に貴方が激怒して本当に別れたらここに住もうと決めていたとも言った。


「アメリカに行かずにここに住むのも広いね。」





「広いね広いねって、ここは高いから空も広くて家具もないからそう思うんじゃない?


広くないわよ。」






薗子は意味あり気に笑った。














その3日後、僕がアメリカに経つ予定だった便にキャンセルが出て、薗子もたまたま予定がオフで2〜3日行かれる事になった。
しかしキャビンの座席は少し離れていた。



二人で飛行機に乗れるのは久しぶりなのに、
(付き合い出した頃、変装してお忍びで旅行に行った事があったっけ。)
ごめんね、折角遠くへ行けるのに、席が離れていて。




と僕は言った。
と、思う。


その時。









「ふたりじゃないわ、さんにんよ。」




薗子が笑いながら言ったその言葉は、キャビン内でバタバタ支度をしている人の動作に割り込まれ、すぐに彼女は自分の席を探して、遠くへ行ってしまった。



え?




誰かいるのか?マネージャーとか、、、
いや、今回はどちらのマネージャーも来ていない。



え?



もう、機体が離陸するまで席を離れられない。

薗子も沢山の外国人に挟まれてしまった。






何故今なんだ、今のタイミングなんだよ!!

僕は心拍数が上がり、顔が発赤していただろう。



様々な、思いが交錯する。
僕は、、、新しい命を授かっていた女性を捨てて去ろうとしていた。だが、だが、それは薗子と付き合うためだから、、、しかし れあ は傷ついたのだろうか。
しかし、れあは元々 薗子を選んでもらいたくてこのトリックを仕掛けたのだ。



とか。





早く席を離れたくてカリカリしていた。

離陸ランプが消え、やっとの思いで薗子のシートの脇の通路に行く事が出来た。
僕は祈るポーズをしてみた。



薗子はクスクス笑いながら、中々席を立たなかった。
彼女は外国人に囲まれた席にいるが、僕らの事を知っている日本人も周りに沢山いる。
少しざわついていたかも知れない。
しかし、そんな事はおかまいなかった。




ようやく薗子が通路に来たので、僕は食事のワゴンがスタンバっている辺りに連れて行き、事の真偽を確かめた。



「ごめんね、タイミングを見計らっているうちに、言いそびれてしまって。」



それはそうだろう。れあに子供が出来たと聞いたら僕は、薗子と逢う事を諦めて 、れあとの結婚を急いだだろう。
しかしそれでは本当の意味で、彼女の作戦は達成されなかった。



だけど、、、調布に行った日でも良かったのに。


だが彼女は、あの日話したらすぐに僕が両親に話してしまう、すると今日のアメリカ同行もムリになるか、心配して空港まで送りにやってくる。


と言っていた。女は単純ではない。










アメリカに着いて僕は別人のようになり、彼女の荷物を持ったり手をつないだり、それはそれは有頂天の道化師みたいだったろう。










部屋に着いた時、「1Kか、狭いわね。ベビーが現れる前にもう少し広い所に越しましょ。しかも便利だけれど街なかでゴミゴミし過ぎてるわ。」



という、薗子の冷静な言葉を聞いた以外、
その日のUSAの事は何も覚えていなかった。











 しかし、アメリカから戻り、それよりもっと有頂天になっていたのはやはり母だった。
あの頃の結婚反対の意向はどこへ行ったのか。
あの人じゃ、もう子供は望めないと言っていたのに。




僕らは次の月に、四苦八苦の調整をして東京とロス(ロスはこれから映画の仕事でお世話になる人々を呼ぶため)簡単な式を挙げたが、その両方に薗子に付きっ切りで、「気をつけて、」とばかり言い、計算違いでドレスのウエストがはまらなくなったと言えば紳の妹にドレスを特注し、夜なべで作らせて、それを東京の式のあと、自らキャリーバッグに入れロスに持って行ったりした。




子供が女の子だったらバレリーナにすると言い、
名前をつけるとはしゃいでいた。



しかし、







あれから26年の時が経ち、昨年母は81才で亡くなったが幸せな生涯だった。


アメリカで生まれた第一子は女の子ではなかったが僕の名の欧(ハク)からの音を取り
木拍(コハク)と名付けられたその息子は、見事にバレリーナとなり、紳が母から継いだバレエ団の看板を背負って立つ存在となった。



2年後に生まれた娘はバレエなど全く興味がなく、心樹(シンジュ)と名付けられたその娘は僕の父の才能を受け継いでいたのか、文筆家となり、数々の賞を貰っている。
今も健在な85の父をグランと呼び、スポーツカーを買わせたりしている。


しかし僕らの子供はその2人だけではない。
長男より3才年上に讃語(サンゴ)という娘がいる。
この長女は僕らの橋渡しをしてくれた横浜の北澤祈子(のりこ)の忘れ形見になってしまった。

僕らがアメリカから帰った年に彼女は白血病を患い、還らぬ人となった。彼女の夫は、海外を転々とする勤務であり、子供の祖父母もずっと一緒に育てられる環境ではなかったため、薗子の願いもあってこの家へ、5才の時にやって来た。
元々僕らの子供達は祈子の名付けに憧れて付けた名前だったが、奇しくもうちの子供達と3人兄妹となった。
世田谷隠れ家カフェ事件の時、祈子は主婦で子供もいたのに、れあ のわがままに付き合ってくれた。
祈子の全てを包むような優しさは 讃語の中に息づいている。
60代になった僕らの近所に暮らし、輸入の会社を薗子と共により大きく発展させ、お父さんお母さん有難う、といつも言って憚らない。
薗子も5才で違う家の娘になり、讃語も同じ運命を辿ったが、皆母親同士がミッション系の女学校で繋がってるというのも不思議な縁だ。




今日も薗子は長女の讃語の娘にご執心であり、この血の繋がりのない3才の孫娘と日々色々な場所へ出かけていて、
もう、木拍や心樹はどうでもいい、と言っている。

 

僕は相変わらずドラマや映画の老齢の紳士役などに起用される事も多く、芝居のオファーにも事かかず、有難い限りではあるが、
今日のように、たまにある紳との対談番組の撮りなどがあると気が重い。


ヤツは勝手に、有る事無い事昔の思い出話しを番組で喋りまくり、僕のイメージを悪くする。
そしてそれが、共演者やギャラリー視聴者に馬鹿ウケするのだ。


そろそろヤツが迎えに来る。ハデな車に乗り、
家の前でクラクションを鳴らす。
いい年をしてあの性格は何とかならないものか。
非常に頭が痛い。



しかし春風に葉桜が揺れる今日は、TVの仕事のあと紳が我が家に送りに来て、一緒に飲み、泊まる約束になっている。







何故こんなに紳を好きなのだろう。






そして、何故こんなに薗子を愛しているのだろう。








色々な事があったが、、、。

















僕は今でも、幸せ者の ままだ。









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皆さま、有難うございます!
追章2?って。まだまだ続くやん!
実は最後に二人の行く末も軽く書かれております。
次あたりで本当に終わりますので、追章1.2.3をご覧頂き、
終わり。感をいっぱいに、この小説を結びたいと思います。
宜しくお願い致します!





あのこと?


僕は れあ の瞳を覗いた。




そうよ、最初からあのことを知っていたなら、こんな茶番みたいな恋愛ごっこを演じる必要もなかったの。




私はもっと自分を信じ、貴方をよく見つめるべきだったわ。




あの日、、、、




私が部屋を引き上げるために引っ越し業者の人々や、昔から付き合いのある劇団員の若い娘達とワイワイ言いながらダンボール詰めをしていたあの木枯らしの晩、


玄関の呼び鈴が鳴り、ひょっとしたら貴方が鍵を返しに来たのかとも考え、ドアミラーを覗いてみると、貴方のお父様だったの。



慌てて、中へお通ししたけれど、
お父様は、「息子が至らなくてすみません。」

と、謝ってばかりいたわ。


薗子は大きくため息をついた。




そして、お父様は、

「やはり、息子と別れて越して行ってしまうんですね、
やる事が早いなぁ〜。」と嘆き、
驚く  ひと言を発した。





「貴女はある意味、息子の初恋人なんですよ。
知っていましたか?」






初恋?




私は意味がわからなかったわ。
私達が一緒に住み始めたのは、貴方が31、私は34だったでしょ?


何とおっしゃったのですか?

隣の部屋がガヤガヤしていたため、繰り返してくれるよう、お父様に尋くと、



初恋ですよ、
貴女がまだお若かった頃、下北沢の小さな劇場で赤貧の少女を演じた事があったでしょう?
私は18才になったばかりの息子を連れて劇場に行きました。


「鳥は東へ飛翔ぶ。」


をご覧になったのですか?



 そうです。


「鳥は東へ飛翔ぶ。」


を拝見しました。私の友人が脚本を書き、チケットを頂いたので、息子と行ったんです。
正直、駆け出しの女優の小ホールでの芝居などそれほど期待してはいなかったんです、
しかし貴女は違いました。
普通の若手女優さんでは到底演じきれない役を、貴女はギリギリの危ないところまで振り切っていた、私はそう感じました。



帰りがけ息子は貴女の演技を思い出し涙ぐんでいたようです。私もあまり変わらない気持ちだったと思います。
息子はあの時から今の道を歩き始めていたのかも知れない。
彼が役者になった事も驚きましたが、十数年が経ち、いつか一緒になろうと思っていると言って、息子が貴女を家に連れて来た時はもっと驚きました。



しかし、私には納得でした。
家内はただ、貴女の華やかさに息子が惹かれただけだろうと思ったようでしたが。





ですから、どうか、もう一度考えてみて下さい。
二人の事を。
息子は若かりし貴女の芝居を見た話しはどうせしていないのでしょう?
その頃から貴女を知っていた事も。
彼が何と言ったのかは定かではありませんが、貴女と別れてしまうと、彼はきっと後悔します。
誰しも恋人と別れて後悔する事はあると思いますが、私が思っているのはそれとは又違います。


息子が、ちゃんとした心の決着をつけないうちに
原点を見失う事がないように願っているんです。



と、




お父様は言って帰って行ったの。



最後に私に、


「どうしても。  別れるのですか?」


と尋かれたので、


「ご安心下さい。今のお話しを伺いましたので、私サイドから
お別れする事はないと思います。」



と告げた。



そのお父様の話しをもっとずっと前に知っていたら、貴方を試す事もなかった。
そして結婚も迷わなかったのに。




「ごめんね。ずっと。
18才の僕が君の芝居を観に行った事は言わない方がいいような気がしたんだ。」


「あの場所には素顔の君がいた。何も持っていない君がいた。そして、それは僕の行く道の始まりになった。」




「10年以上の時が経ち、役者の先輩に君を紹介された。美しく、大人の君がそこにいたのに、僕が握手をしたのはボロボロの服を着た裸足の少女だった。僕の脳裏からその少女は消す事が出来なかった。」




馬鹿ね、私も・・・。


ランチの皿を脇に寄せながら薗子は言った。



私を見てた人だから、
ずっと本当の私を見ていてくれた人だから、
ひと目見てそれに気づいたから、



すぐに好きになったのに、
他の男(ひと)には抱かない感情を持ったのに、



自分のその直感を信じられなかったんだわね。





窓の外の小鳥を見ていた。




そして僕は、実家に帰った頃の父親の、意味不明な僕が れあ と別れないという変な確信の根拠を知ったのだった。





僕らはランチをすませ、薗子の引っ越し先へと向かう事になった。




「ねぇ、コーヒーを飲んでしまったら?」



「もう、お腹がいっぱいになっちゃったわ。」




お腹がいっぱいになってもいつもコーヒーだけは
飲んでたのに。



そんな他愛のない話しをしながら僕は、薗子はどんな所に越したのだろうと、漠然と考えていた。










皆様、緋蝠 (ひふく)の紋章を
忘れた頃に、
追章?
って思われると思いますが、よろしければ、今までの小説のくくりであり全貌であり逆に言うと始まりでもある追章2章をお読み頂ければ幸いです。
話しをお忘れになってしまった方は、、、是非又、遡ってみて下さいね。
宜しくしくーー!!




教会を後にし、僕らは薗子の車であてどもなく出発した。



今日の彼女は見慣れないリップの色に
見た事のない白い服で



そこに、



女優 牧野礼愛(まきの れあ)は




いなかった。




車窓の景色は郊外に移っていく。




「どこに行くの?」




尋ねる僕に薗子は髪を揺らしながら笑うだけだった。




こんなに髪が長かった?



れあは髪を束ねるのが常だ。
ポニーテールにするか、かなりの頻度で夜会巻きにしていたかもしれない。




やがて僕らは横浜もかなりはずれの
洋食の店にやって来ていた。


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僕は



僕が送ったファンレターへの返事はどこに着いていたのかと尋ねた。


「友達よ。北澤祈子。のり子には少しだけ会った事あるでしょ、私のうちわのバースデイ女子会に来た事あるよね。」


貴方は終わる頃皆に挨拶に来たでしょ?



手紙は全部彼女が読んでいたのかという問いに、手紙は着く度に、開封されずに企業名の茶封筒で、送り返されていたらしかった。そしてその手紙の返事は、薗子が彼女にメールで送り、その文章を友達の祈子が
手書きし、横浜の消印で送って来るという念の入れようだった。


女の画策は、芸が細かい、というか、奥が深い。




僕はその手紙を読んでいたというわけか。



けれど、手紙は結局、例の世田谷隠れ家カフェ事件まで5〜6通、その後1通づつで終わっている。



彼女の名前を北澤薗子にしているのは、
親友の北澤祈子が北澤姓で、そこから手紙を発送し始めたからだったようだ。



どうやら、メールはれあ、失礼、薗子がもう一台スマートフォンをもっており、そこからの発信だったようだ。


直に電話したりかかって来ていたのは、実は親友の祈子だったと知った。
彼女は大人しくしとやかで、北澤薗子を演じるのに全く違和感がなかったらしい。
今思うと長電話になるとボロが出ると思っていたらしく、
詳細は又のちほどメールで。
と言い、彼女も長くは話さなかった。





世田谷隠れ家カフェ事件は、やはり薗子は前もってきっと僕が通るであろう通りに車を停め、偶然を装って話しを長引かせ、待ち合わせの彼女と逢えないシチュエーションを作ろうとした、と言った。


それはあの時期まだ、ペンフレンドと僕が逢うのは時期尚早であるし、彼女の本当の正体を明かすのも時期ではないと判断したため、

薗子側には逢うつもりがあったのに、彼の手違いで女優の彼女と話しているところを目撃され、時間にも遅れて逢えなかった事実を作ったらしい。



やはりその時カフェには親友の祈子がいて、合図とともに店を出、大急ぎで二人で車で去った話しを聞いた。

席の紅茶はまだ暖かく、本当に飲みかけだったのを憶えている。



僕はテーブルに運ばれて来たランチプレートの
僕の嫌いな付け合わせのキノコのソテーを、さりげなく自分のブロッコリーと取り替えている薗子のうつむいた顔を、不思議な気持ちで見ていた。



そこには、初めて待ち合わせをして逢った、僕の良く知らない女性の顔と、
僕の全てを知り、好き嫌いを理解して、いつものように暖かく微笑んでいる彼女、
別れてしまってもう逢えないのだと絶望的になっていた彼女、の
両方の顔があったからだ。


少しづつ落ち着きを取り戻して、食事がのどを通るようになった時、薗子は


懺悔したい。


あのことがあって、本当に自分がバカな女だったと思った、と語りだした。






あのこと??






僕はまだ何かあるのか、とドキリとして




フォークをもったまま彼女の瞳を凝視していた。