百景

百景

自作の小説や詩のようなものの置き場です。実在・歴史上の人物をモデルにしているものもありますが、名前や設定が似ているだけの別人と考えていただけるとありがたいです。

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万里の波頭を越えてあなたに会いにきたのだ
わたしは

本当は


わたしの中の

孤独という名の生暖かい甘美な沼に

全身浸かっていたいのだった


わたしの中の

虚無という名の荒野で

風の音だけ聞いていたいのだった

今日、この日記書くことにしたんだけど、なんだかすっごく嬉しい。何か書きたいとおもってたのがやっと解決できるなーっていう感じで。こんなに文章書くこと、学校の作文のほかに無いもんね。あー、ペチャペチャこんなに書いてどうすんだろ。でもさでもさ、これをいっぱい書いて、安っぽい雑誌でもいい、出るようになればいいなあー。とか。おもったり。

 お父さん。わたし、こんなに書きたいっておもうのは、お父さんのを受け継いだのかな。本当に、あたしは貴方に似てるのですよ。うん。なんか、書きたくってしょうがない。毎日自分の気持ちの流れとかした事とかを。でも、よく考えるとなんだか反対に書くのが嫌になるのね。すっごい独りよがりになっちゃいそうで。あの、文学とか、絵だとか音楽なんてさ、けっこう弱いものなんじゃないかとおもっちゃうし。黙ってスースー生きてくほうがかっこいいよ、ほんとは。うーん考えるとわからなくなる。


 でも書きたい。書く。

 嘘は、できるだけ言わないように。



 昨日友達と話してたんだけどさ、海外の女の人と日本の女の人のレベルを比べると、例外をのぞいて、たいてい日本の女の人のほうが低いんじゃない?それは日本の女の人が、勉強するひとつのものを持ってそれを最後まで学びとおすってことが少ないからだきっと。あたしは社会学を勉強したい。

 これは実は終始おもってることだったりするんだけど。親類のおばさん連中やら知人のおばさん連中やら若い女の子やらがそろって話すことといえば、こどものことかおっとのことかえいがのことかあのひとがすきだとかきらいだとかひとのうわさとかわるぐちとか、に決まってるの。どうしたもんかね。

 そりゃあさあ、女らしいっていうことなら子供のために、唯それだけのために人生かけて生きるってことはすごい良い事なんだろうけどさ、それじゃあ自分自身は?なんか、わびしいんじゃないかな…。子供、夫だけっていう生活じゃなく、自分の生活をもって生きていくのが、ほんとうの女らしい女なのではないの?あたしはそう思うし。そうしたいし。どうよ。

 一生かけて追及していける…なんか生きがいっていうかそういうもの…うまく言えないけどそういうのを持ってるひとっていうのが、真に生活を持ち得たひとっていうんだろう。

 あたしはいつも、そういうのを探してるんだけど、それが何かって聞かれると、答えることができないでいる。学問だったり仕事だったり趣味だったり、何でもいいんだけど。いまはまだ、みつかってない。



 このごろ、なんだかなーっておもう。あんまり自分に合わない人の集団に入ってなじんでくのが。それが上手くできないんじゃなくて、むしろできすぎちゃって困るっていうかさ。そういう人たちの中にいるとさ、あたし全然本当の自分を出してない。いっつも気を使っちゃうし、人にどう見られてるか意識せずにいられないの。

 このまま生活していったら、きっと世渡り上手な、いわゆる社交の上手い、その辺にいくらでもいるようなウジャウジャした人間達に好かれることは確かだなー。でもそれだと、自分の個性を殺してる気がすごくするのね。ああもう、どっちがほんとうの自分なんだかわかんなくなってきた。

 ずっと前、まだあたしが小さくてお父さんが生きてたとき、お父さんあたしのことを、「中心はずれの子」って言ったらしい。それって、おかしいってことだよね。異常ってことだよね。きっと、そのまんま中心はずれの子でいたらあたし、世間の人から変わり者に扱われて、生きてくことが苦しいって感じたり、するんだろう。


 どうしたら幸せになれるのかな。

 いや、幸せになりたいんじゃない。あたしはいつだってただ、知りたいだけだ。



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太宰の『女生徒』を、部分取り出して桃尻語訳しました。

桃尻語訳って何って感じですが、橋本治さんの『桃尻語訳 枕草子』のです。

ほんとに言葉使いを変えただけで、内容はほぼ太宰の女生徒の中のままです。