29話 敵わない敵





 舞い降りたそれを、リミンクはしばらく呆然と眺めていた。
 勿論、優秀であるリミンクが他の組織による妨害を考えていなかったわけではない。
 むしろ、想定に想定を重ね、どのような組織から、どのような妨害が入るか、までを入念に計算していた。
 だから、目の前の流線型のバイクに、違和感を覚えざるを得なかったのだ。

(あの型は……Men In Blood!?)

 リミンクは優秀であるが故に、遠い遠い星系で起こった戦争と、その結果を見聞していた。
 ‘‘アトミック’’というテロ集団が反乱を起こし、Men In Blackの下部組織、Men In Bloodが応戦、双方壊滅した、と。
 そして当然疑問が湧き上がる。
 ならば、何故、こんなところに、Men In Bloodのバイクがあるのか、と。
 だがリミンクは、考えたところでどうしようもない疑問を素早く脳から排し、より重要な問題の解決に移行する。
 すなわち、この敵をどう排除し、どう任務を遂行するか。
 幸い、リミンクには武器がある。
 しかしそれは、銃火器ではない。
 肉を抉るでもなく、骨を削るでもなく、脳を喰らう武器だ。
 それは確実に唯一無二であると断言できるほど稀有なものだ。
 弱点は、奇襲に対する対応が出来ないこと。
 この場面も、一般的に考えれば十分奇襲ではあるが、リミンクが声を出す時間があれば、それは既に奇襲ではない。
 勝ちは決まった。
 懸念があるとすれば、リミンクの能力に対する防衛策がとられていること。
 もしくは反撃策か。
 だから先手を取る。
 先手がうまく決まらなければ、逃走に徹すればいい話。
 ──だったはず。
 なのに。

「その少年を離せ」
 
 先手を取られていた。
 いや、そもそも、先手を取れると思っていたことが間違いだったのか。
 ビーチフラッグで言えば、ピストルの合図が響いた時点で、既に相手は、フラッグの横に立っている状況。
 リミンクが全神経を研ぎ澄まして、スタートダッシュをかけたところで、旗は取られているのである。
 少年を離せ、とは言われても、そもそもリミンクは少年をつかんでいない。
 無論、見えない力で雁字搦めに縛ってはいるが、それが向こうに分かるわけもない。
 ただ少年を引き渡せ、という意味なのだろう。
 そうでなければならないのだ。
 そうでなければ、既にリミンクの手の内はさらされていることになる。
「心を縛るのは反則だろーに」
 リミンクの心が冷たく萎縮した──気がする。
 見透かされていた。
 見抜かれていた、というのが正しいだろうか。いや、たった今見抜かれたのかもしれない。
 けれど、納得できない。
 何故、わざわざ口頭で言う必要があるのか。
 リミンクの能力を知ったなら、できるだけ相手に油断をさせて、死角を突くのが道理ではないか。
 どうして『相手の手の内を知っている』という自分の手の内をさらすのか。
 考えられる可能性は一つ。
 既に、リミンクの能力に対する策が、万全に取られている。たとえば、あのときのような特殊な耳栓。たとえば、メガネやサングラス、コンタクト。
 ならば、どうするか。
 簡単だ。それ以外の方法を取ればいい。
 リミンクが能力を使うのは、あくまで一番良い方法なだけである。所謂ベストだが、所詮ベストだ。
 ベストが駄目なら、ベター。
 相性と能力の強さを掛け算で表せば、ベストとベターが逆転することも十分ある。
 と、ここまでをわずか数瞬で思考すると、リミンクは右腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。
 耳栓をしていようがコンタクトをしていようが、銃弾からは逃れられない。
 早速引き金を引く。
 8割の戦いは先手を打ったものが勝ち、そのうちの4割は最初の一手で勝負が決まる。
 先ほど先手を取られたリミンクではあったが、その後の追撃が無かったためにリセットされたと考えることが出来る。
 森の空気を引き裂く鉛の弾は、完璧なヘッドショットの軌道を描いていく。
 弾丸が肉と骨を貫く音──。

 ──は、せず、金属と金属のぶつかる音が響いた。

「ッ!?」
 リミンクの動揺。
 男は、変わらず──立っている。
「バイクに当たったじゃねーか。どーしてくれる」
 バイクとは、男の真後ろにある、流線型のバイク。
(避けましたの!? いや、そんなこと……)
 ──ありえない、と思考はすぐに結論に達する。
 が、しかし、現実はそれと相反する。
 現実がおかしい。いや、結論がおかしいのだ。
 ありえないことはありえない。
 実際に起こっているのだから。
 冷静にはなれない。が、考えている暇は無い。
 まずは敵を排除するのみ。
 リミンクは次に、左腰から引き抜いた小型のランチャーを構える。
 また、何の躊躇も無く引き金を引く。躊躇が無いのではなく、躊躇できないのか。
 大きな反動を、リミンクは怪我した脚で堪える。激痛だが、痛がる時間は無い。
 ズドーン! と、男のいた場所に大きな爆発が起こった。無論、ミサイルが炸裂したのだ。
(──勝ちはもらいましたわ)
 リミンクは確信した。いつもならありえない、早計な判断だ。
 爆発によって起こった噴煙は、木の隙間から落ちてくる雨に流されていく。

 視界が開けた先には──。
 無論。勿論。当然。
 ──変わらないシルエット。

 完全に不利な状況で、逆にリミンクは頭が冷えた。
 落ち着けば、道理は分かってくる。
 なんてことはない話。
 ただ、シールドを張っただけだ。
 シールド発生装置はMen In Bloodの標準装備である。
 その程度の情報を、リミンクが知らないわけが無い。
 けれど、分析し理解したところで、何が変わると言うのだろうか。
 男の影は、呆れたような手振りを交えながら、
「引き渡す気はねーんだな?」
 と余裕の態度で嘯いた。
 嘯く、とは言っても、それは大げさではなかったかもしれない。戦績に即した、正しい余裕だ。
「勿論、ですわ」
 負けじとリミンクは強気で返す。負けじと返している時点で、ある意味、既に負けていることは否めない。
 会話、という、本来リミンクが無敵になる場面で、リミンクは攻勢に移った。
「そちらこそ、わたくしの邪魔はやめてくださる?」
 絶対の、チカラ。
 けれど。
「断る。お前の邪魔をするのが俺の仕事だ」
 全く、通用しない。
 リミンクは知る由もないことだが、MIBloodの男──レン──は、能力に対する対策を何も持っていなかった。
 能力の付け入る隙が無かっただけだった。
 リミンクの能力は、声をそのまま聞く者、顔をそのまま見る者に例外なく発動する。
 けれど、レンはそもそも、聞いていなかった。見ていなかった。
 レンはバイクから降り立った瞬間に、状況を把握した。
 SCPOのリミンクの姿と、その後ろに立つ少年の姿と──違和感。どうみても、自分の意思で行動していない。
 考えられるのは、洗脳か、もしくはそれに類する何か。そして、洗脳の基本は視覚と聴覚だ。
 レンは視覚と聴覚を遮断し、振動だけで全てを判断した。
 音は振動だ。何も、振動を感じるのは耳だけではない。言わずもがな、耳が一番優れているのだが、その他の部分で感じられない訳ではない。
 レンは優秀だ。優秀すぎる。リミンクに対して使う優秀とは比べ物にならない。 
(やはり……効かないんですのね……)
 能力が効かないのは、覚悟していたことだ。動揺は少ない。
 けれど、その少なかった動揺が、一瞬で倍増した。

 レンの姿が、リミンクの視界に無かった。

「!?」
 メーターを振り切った驚愕に、リミンクは声を出すことも出来ない。
(光学迷彩ですの!?)
 リミンクの思考はフルに回転する。
 しかし、MIBloodの装備に、光学迷彩は無い。
 今回の任務のための特別装備か。そもそもMIBloodのメンバーではないのか。
 いや、そもそも、光学迷彩があるのなら、気付かれないうちに不意打ちで止めを刺すのが定石。わざわざ一度姿を晒す必要は無い。
 リミンクは光学迷彩の使用を検知できるように小型の機械を持ち歩いているが、それに反応は無い。
 つまりは、光学迷彩などではない。

「さよなら」
 
 不意に、背後から声がした。
 レンの声だ。
 リミンクが振り返ると、レンは既に、神保武を抱えていた。
「どう、して……」
 リミンクが声を絞り出す。
「久しぶりの全力疾走はどーにも疲れるね」
 レンは当たり前のように返した。
 けれど、リミンクにそれが当たり前だと思えるはずが無い。
 震える。恐怖は一定を超えると諦めに変わる。
「何を、言っているんですの?」
 リミンクの、懇願にも聞こえる言葉に、
「お前とのおしゃべりは任務に含まれてねーから」
 レンは余裕の表情で切り返した。
「…………………………、」
 長い沈黙。
 リミンクは言葉を返すことが出来なかった。
 返す言葉が見つからなかったのではない。
 言葉を返そうと搾り出した声は、呻き声へ変わった。
「う……あ……」
 リミンクは、ゆっくりと自分の腹を見る。
 
 突き出た、腕。
 流れ出す、血。

「こんにちは」
 冷たい声が響く。
 言うまでもなかった。何も言えるはずが無かった。
 圧倒的。壊滅的。破滅的。
 計り知れない力を持つ、悪魔がいた。
 恐怖は、限界を知らなかった。


───────────────────────




またまた久しぶり。


感想、お願いします!