点滴で最低限必要な栄養が

とれるようになった父は顔色もよくなり

元気を取り戻しているように見えました。


どうせなら 

もう少し元気になってから退院しよう。

少しでも元気になっての退院のほうが

介護する方も される方も楽だろうから…

そんなふうに思ってました。


食べれば その分 もっと元気になる!と

母は昼にめがけて病院に行き

相変わらず食欲があるとは言えない父に

一生懸命 昼食を食べさせました。


食べる日 食べない日は ありましたが

沢山食べてくれた日は

私が 仕事帰りに実家に寄ると

『父が沢山食べたのかな?

 父との会話がはずんだのかな?』…と

会った瞬間に父の事で話したい事があると

判るくらい 母はいい顔してました。

沢山と言ってますが

いつもより数口多く食べただけなのだけど…


この調子で 

もっともっと 食べられるようになって

もっともっと 栄養がとれたなら

少しの時間 自力で座っていられるかも…

動くためのリハビリも できるかもしれない!

…とか 


以前妹が 元気になるのに

胃腸を動かすことが大事だから

食べられないなら胃ろうしたらいいかも…と

言っていたのを思い出し

点滴で元気を取り戻してきたことだし

ついでに胃ろうもしたら 

もっと元気になるのかなぁ…なんて

母と2人で 大真面目に

希望的な妄想話をした事もありました。

私も母も胃ろうの知識は全く無く

残念ながら 父の病状は日々変わっていて

妹が胃ろうすればと言った時と

父の状態は全然違う事には気づいてません。


父が弱っている事など考えもせず

母と私は まだ よたよたでも動けるくらい

父は元気になると信じていました。

父の病状は私達が気が付かないうちに

秒単位で変わってるなんて思ってないのです。



実は12月に退院する前も

年末入院した時 病院が年末年始休みの為

面会ができないので 父の様子を聞いた時も

看護師さんから

『生きる気力がなくなってきてる気がして

心配です』と言われました。


確かに食べる量はかなり減っていて

数口しか食べないし 私も母も単純に

『苦しくなるから食べたくないのかな』

と思っていましたが 他の人から見たら

『生きる気力がなくなっている』ように

見えちゃうのかなぁ…と思っていました。

もしかしたら父は 母が面会に来てる時は

母に心配かけないように 

少しだけ頑張っていたのかもしれません。

だから 父の元気がないと感じた時でも

生きる気力がないとまでは

思わなかったのかもしれません。


あの日までは…。


たった1日 用事があって

面会できる日に母が面会に行けなかった。

たった1日で…

悪い考えが 煮詰まった…?


私達は 日々忙しくしているけど

その間 1日中 ベッドの上で父は

煮詰まるくらいずっと考えていたのかなぁ?


悪い考えが 更に悪い考えを呼び

どんどん負のループにハマったのかなぁ?



その日 いつものように仕事帰り実家に寄ると

母の様子が明らかにおかしかった。


涙腺が弱く泣き虫な私は いつも

ちょっとしたきっかけで泣いてしまうけど

母は 私よりずっと弱く見えるのに

どんなに大変でも泣き言は言わず

父のことを考えて支えていたのに…

その日の母の様子は いつもと違ってた。


母は私の顔を見るなり 

泣きそうな顔をして言うのです。


『お父さん 生きていたくないのかもしれない

 私は お父さんに生きててほしいけど

 そのせいで

 お父さんを苦しめてるのかもしれない。

 どうしていいのかわからない』


その日も昼食の時間に合わせて面会に行き

父に昼食を食べさせようとしたそうです。


いつもは 食べたくない日でも口を開けて

一口くらいは食べるし

父が『もういい』って言っても

『もう少し食べよう』と母が言えば

口を開けて あと数口は食べていたのに


その日の父は口をしっかり閉じて


『食べない!』と言わんばかりに

歯を食いしばり 何も食べず 何も飲まず

話しかけても言葉を話すことも

うなずいたり首をふる事もなかったそうです。


『なぜだろう』母と話をして

年末年始 病院が休みの間だけ

病院に入院してって約束したのに

病院が始まって何日も経っても帰れないから

家に帰れないような気持ちになったのかな?

私達なりに結論を出しました。


私は その場で夫に電話をし

次の日 父の昼食の時間に合わせて

少し会社を抜けて病院に行かせてほしいと

お願いしました。


母と一緒に病院に行き

退院のお願いをすることにしたのです。