注) 編集中です🙇
以前facebookに投稿したものを
一旦コピペしただけのものですので、
これをいじっていきます。



前提
      (方法的)懐疑してきた
        ex.水槽の脳、独我論、多次元…
             などの様々な可能性

トリガー
       高熱との格闘
                 ↓
  「身体的私!(身体が知考に先立つ)」の確信(実感)
     ※「動物としての私」とも呼ぶ
     →同じようにして物的周囲(=世界)!
     →通常の世界観が洗練された世界観へ
     →(動物として)生きる力が必要
     →知考(哲学)よりも労働へ



たどり着く
1.全観


世界(○で示した空間のようなもの)が変化していく(時間)。
これが世界である。まさに通常の世界観。
 +αで①「ナマの事実」
                    人間がどうこういう以前に
                    世界がありのままの事実である。
          ②相互依存的な因果が働いている
                    例えば私は環境に依存している
                    私の意思は既に決定している
                    万物は因果により決定している
                    などのあれである。

2.私観

※不可知来=いつ何が起こるかわからない  
  これは人間(知的生命)から見たナマの事実である
   ・思い通りになることなどひとつもない
       (意思と実現は分離している
         例えば確率論と実際は完全一致ではない
          表が出た次に表が出ることもある)
   ・安定などどこにもない  等が導かれる
※私∈人間∈動物∈生物∈もの
  →特に、「動物としての私」という観点から
      私の身体性に着目した結果、
      人生全体を競技のように観ることが出来る。

3.道観
※書道や野球のように人生にも正道(正解)がある。
  →ムダがある状態に始まり
      練習・正解の模倣を繰り返すことによって
      ムダのない安定したシンプルな状態になる
    ※上手くなって何かに役立てるという意識は
      上達において無駄である。
      人生の道においても、
      幸せになりたいという意識は
      同じようにして無駄である。
   ※練習とは正解への没入に他ならない。
     没入は楽しい、充実を感じるものである。
     これは酒や異性などの外部による快楽ではない。
   ※上達すればシンプルになり、迷いが消えていく。
      あらゆることがらに気をとられなくなっていく。
      このようにして心の平穏がもたらされる。
   ※人生とは生から死までの一日の繰り返しである。
      そして輪廻を導入すれば、発生から消滅までの
       一日の繰り返しである。
       正道とはほとんど一日の定型の各動作
       (歩く止まる座る寝るなど)を整えることである。

4.正道
Q.じゃあその正道はなんなのか!
    何をすれば「心の平穏」に至れるのか!
A.(1)観→(2)心→(3)身

(1)観(ものの見方)
 上記の観を私から見た、
 「今できること、すべきことは既に決まっている」
  などがある。

(2)心(意識の持ち方)


①ナマの大地に慈悲の材料で、
②精進の建設をし、
③そこで空性の生活をする。
④そうすれば誠実の外観となる。

①慈悲(喜捨とつづく)
      不可知来を観たならば、
      我が恵まれている境遇を観る。
      そして他の恵まれていない境遇を観る。
      そちらへ歩み寄る志向が起こるだろう
         まるで温気が冷気に流れ込むように。
      苦しみを分かち合う。(根拠ではなく実感)
      関心であってはならず、関心でしかない。
      ※あるでしかないは、あるでもないでもない。
      ※捨に固執するものはもはや捨ではない、
        すなわち無関心に固執するものは
                         もはや無関心ではない。
②精進(正道に勤める、没入する)
      身体的な私、および
      不可知来を観て、
      シンプルな私(正道)を勤める。
      生きる力(生産能力)も身に付けていく。
      なるべく各動作(起きる、食べる、座るなど)を
      同じ姿に整えていく。
③空性(オープン)
      内と外の壁を一切もたない駅舎のように
      開かれた心は常に明るく、淀みがない。
      ※我執がないとも言える。クセもない。
      ※中道とも言える。   
         ポジティブでもネガティブでもない。
         不安になるならば、
         同じだけラッキーも想像しないと自己矛盾。
         真に心の開かれたものは一喜一憂がない。
④誠実(サービス)
       受動的サービス精神:場に合わせる
       能動的サービス精神:楽しませる、喜ばせる 
       ※博愛を突き詰めれば、無関心にいたるが、
          もはや私はこれすらもこだわりであると
          飛び出した。
          私は楽しませたいから、楽しませるのである。

(3)身
       
死生観 
死生観→断or続(転生or永遠)
※私は輪廻転生、すなわち続(転生)を前提とする。でもどっちでもいい。ここがポイント。
→私の輪廻観
   ①海でたとえる
        海をイメージしてもらいたい。
        海は常に動いていて止まることがない
        どこからともなく風が吹くなりして
        波が生まれてきては
        交わりながら岸辺で消えて
        海という媒介に戻る。
        そのような波が無数にあって、
        生まれてきては、長い旅を経て消えていく。
        そして本来は皆同じ海なのである。
   ②RPGゲームでたとえる
         ゲームを始めてみる。
         試行錯誤をしながら、
         ときには電源を切ったり、リセットしながら
         主人公なり連れなり成長していく。
         達成するまでは好奇心のゆえに
         心踊らせてプレイを続ける。
         やがて達成すれば、好奇心が失せやめていく。
※断を導入するならば、
  私の説いた生き方は
  生き方の1つとなるだけ(になってしまう)


おわりに
説いてはみたが、
野球のトレーニング本、
ゲームの攻略本のようなものにすぎず、
実践していくものである。
すなわち、ひたすらくりかえし体得していく
波を変えていくしかないのであって、
知ってもどーにもならない。
しかも、この理も実感にしか基づかない。
  ※例えば犬に説いても仕方ないだろう。
ただし、成長を促進するものではある。

今日も私は実践して平穏に近づいていこう。
ちょうど、字を練習するかのように
(身体的)生を練習していくのである。
いま、幻の快楽ではない没入する充実を感じる。

もしかりに、転生を信じなくとも
私は本当に物欲のない安らぎを知っている。
怒らない安らぎを知っている。
少なくともいくつもの悩みを幻想と観てきた。

私は説こう。
「諸行無常、諸法無我。
    (あるでしかなくあるでもないでもない。
      すべては縁起によっており、
      変化し続け、常住主宰の我はどこにもない)
    この身体的私は生まれて死にゆく。
    正道に没入する楽しみを感じ、
    『ただ一日を勤めるべし』。」と。