大淀~伏見~大津へ

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比曽寺の本堂は火災で焼失し、昭和43年に再建されたものです。

 

 

文禄3年2月27日(西暦では1594年4月17日)に

吉野で花見を開催した豊臣秀吉。

 

その際に、比曽寺に立ち寄ったのでしょうか。

文録3年1月3日、伏見に築城を着手した秀吉は

9月20日に比曽寺の三重塔(東塔)を伏見城へ移します。

    (※1597年説もあり)

 

                      東塔跡

文禄4年 近江の園城寺(三井寺)

    秀吉の怒りを買い寺領を没収され

    本尊は他所へ、堂宇も強制的に移築され事実上の廃寺に。

(1596年5月1日)

文禄5年4月4日、浅間山大噴火

(1596年9月1日) 

文禄5年閏7月9日 伊予大地震

文禄5年閏7月12日 豊後大地震

文禄5年閏7月13日 伏見大地震

   出来あがったばかりの伏見城ですが、

   大地震で天守が5層のうち上部2層が崩落、

   御殿、櫓、城門などが崩壊。

(1596年9月26日)

文禄5年8月5日 畿内の洪水と暴風雨で被害続出。

(1596年12月16日)

10月27日、天変地異の災異のため元号を文禄から「慶長」へ

(1597年)

慶長2年 伏見城再建

(1598年)

慶長3年8月18日 秀吉死去

死の直前に三井寺の再興が許可される。

(1601年)

慶長6年 徳川家康、三井寺に

 伏見城内の楼門(旧常楽寺楼門)、

 三重塔(旧比曽寺三重塔)を移して寄進。

 

ということで、

室町時代初期に改築された比曽寺の東塔は、

今は国の重要文化財として大津にいます。