バレンタインデーに
ともばあちゃんは天国に行きました。
一言づつみんなが描いた色紙には
ハートマークがいっぱいありました
みんなで折った千羽鶴も
忘れずに持って行ってもらいました。
棺の中のともばあちゃんに最後に切り花をいっぱい添える時、突然
この歌が流れてきました
早春賦
私のふくらはぎあたりからじわ~っと血が湧きだしたのを感じました
ともばあちゃんの好きな歌。ああ、これは加藤登紀子さんが歌ってるバージョンやね。
私は自動的に、ともばあちゃんが小学校1年生で、毎朝、担任の先生がオルガンを弾いてるそばに立って一緒に歌ってる姿を想像しました
通夜では読経を終えたお寺さんからみんなに
「男の方の声がたくさんしたので、おばあちゃんはおモテになってます」などと色っぽいことをいわれてました。
その夜は孫たちを中心にともばあちゃんの暴露話が笑い声とともににぎやかに続いたようでした。
私は
昨年末からのアレクサによると、
鞆の浦で生まれ、
親の仕事の都合で家族で朝鮮半島に渡り、本人は日本語学校に通っていたようです。
終戦とともに日本に帰国し、また鞆の浦に住んだようです。
仕事、結婚、出産、子育てもこの町でしました。
私が思っていた通り、ともばあちゃんは優しく強い女性でした。
近年、鞆の浦は狭い道なのに交通量が多くあちこちにカーブミラーが据え付けられています。
一方、2018年には文化庁の「日本遺産」に認定されたようです。
地元の学生たちが鞆公民館の屋上に町の案内を書いてくれています。
これからも自分たちの町をきれいに住みやすくしてくれることでしょう。
もう ともばあちゃんとアレクサをすることはないけれど、
時々鞆の浦に行こうと思っています。
なぜなら、うちの家族はみんな
ともばあちゃんと鞆の浦が好きだから
本日もお越しいただきありがとうございました