第2部:君がこのBLOGを読んでる今から十数年前の事・・・ | 雷人のブログ

第2部:君がこのBLOGを読んでる今から十数年前の事・・・

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続き・・・

KIMERAを立ち上げたっていうのは今のKIMERA RECORDSじゃなくて4MC1DJのRAPグループだ。

当事岩国に“CIRCUS"っていう箱があってHIPHOP的には広島のどの箱より盛り上がってた。時代はHIPHOP東西戦争に入る直前でRASTA ROOT(通称ディオン)っていうDJが仕切っててベースのアーミー達も日本人も入り乱れて盛り上がってて全てPEACEだった。
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DJ RASTA ROOT

RASTA ROOTは日本人のHIPHOPにも理解のある奴でよくRAPコンテストを主催してた。内容は日本人、US入り乱れで3分づつRAPしていくんだけどカッコイイRAP(ステージ)すると肌の色関係なく凄いレスポンスが帰ってきた。
 俺等はKIMERA結成して名前を売るために3人SOLOでエントリーして会場を荒らしまくった。そのときの優勝はMAD HYDであまりのステージの凄さに会場中にいるニガや主催のRASTA ROOTも巻き込んで凄い事になってた。

そんなときに出会ったのがまだRAP始めたばかりのCHAKA(現HIGH-5)やアイスクライマー(後のカムクリーン徳田が在籍)だ。

KIMERAは笑えるくらいHARDCOREだった頭の中にはWU-TANG CLANしかなかった。その分かりやすさとゴリゴリさで日本人以外にも人気があった。CIRCUSでは大受けでよくニガーに声掛けられた。客のニガーが“WU-TANG!!"って叫んだときは訳も無く誇らしかった。

Sunz Of Man - Soldiers Of Darkness

KIMERAのLIVEでは必ずこの曲のインストが使われた。

俺はB.O.Dやってる頃からフジカワ(現BORDER)っていう箱に世話になってて平日でもひたすらマイク持って練習した。いつでもマイク持てる環境があったのは幸運だったと思う。そこの店長がDJ MASTAという数々の伝説を持つイケメン先輩でその友達だったそういちさん(後のDJ SANTANA)を紹介してくれた。俺等は良く一緒に遊んでいて当事じゃあ誰もやってなかった金歯に片足上げの俺とネットを頭に被ってハンパンハイソックスのチカーノスタイルの集団は街中でも目立ってた(悪目立ち)。俺が“ブルックリン!ブルックリン!!”MASTA&そういちさん“メキシコ!メキシコ!!”って感じだったけど気が合ってた。 


 当時ZA-TUONがデモテープ“傷跡”(広島クラシック!!)をリリースしたときは並木界隈が沸き立った。俺はOJKと一緒に車で爆音でかけながら街を走りまくった。

今の並木通りのSTUDIO 25がある場所にFLEXのSHOP“FUGGE"(ファギー)があった。OJKがそこでレコードショップを始めてその店が俺達の溜まり場になった。レコ屋を始めたいOJKに俺が仕入れ先を紹介したからいつもレコードは割引で売ってくれた。いつだって先に入荷リスト見せてくれたから欲しいものが確実に手に入った。
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FUGGEの袋

店に入るとKAMACHIさんやOJKが入荷したてのレコードをPLAYしてた。当事はGROUP HOMEの“SUPER STAR"やSmoothe Da Hustlerの“BROKEN LANGUAGE"がDJのMUST2枚使いアイテムでFUGGEで良くかかってたし俺等もそれに合わせてRAPしてた。

Smoothe Da Hustler ft. Trigga The Gambler - Broken Language


Group Home - Supa Star


その頃高校生が意気が良くて平日の夕方からGで良くイベントをやってた。俺等は何かとブッキングもされてないのに紛れ込んで隙があればLIVEした。

でも風営法のあおりでDJ BAR Gが潰れる事になった。

続く



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