高校のとき、英語の先生はよく「電子辞書ではなく紙の辞書を使うように」と言っていた。その理由は「紙の辞書を使うと、調べようと思っていた単語以外の単語も目に入って、いっしょに覚えられるから」。

 
周囲の人間の多くはそれを理解していないのか、理解しているけど紙の辞書は重いから持ち運ぶのが嫌なのか、先生の目を盗んで電子辞書を使っていた。自分は先生の言うことがなんとなく分かる気がしたのと、電子辞書を使っているのを見られて嫌な顔をされたくないからという理由で律儀に紙の辞書を使っていた。単語どうこうというレベルではないくらい落ちこぼれていたから、英語の点数は全然取れなかったけど。
 
 
本屋さんに行くと、お目当ての本以外の本も買ってしまうという人は多いはずだ。本屋さんでは売れ筋の本や同じ出版社の本、同じテーマを扱う本が隣り合って並べられており、欲しい本を探していると、その周りに置いてある本が自然と目に入ってくる。
 
「あ、こんな本あるんだ」と手に取ってパラパラとめくってみると面白そうで、もともと買うつもりがなかった、というか、そもそも存在すら知らなかった本を買うことがある。
 
これは英語の先生が言っていたことに近いと思う。目指していたところの周囲にあるものが目に入ってきて、想定外のものを得られるというのは、紙の辞書を引くのと本屋さんで本を探すのと、とても似ている。
 
 
いまはネットで手軽に本を買えるし(むしろ書店で手に入らなくてもネットでなら買える本もある)、電子書籍であれば読みたい本を読みたいと思ったその瞬間に読める。ネット社会ならではの本の手に入れ方や読書の仕方だと思うし、こんな時節柄、外出を控えるという点でも素晴らしい方法だと思う。
 
ただ、そうやって本を探していると欲しい本、読みたい本にあまりにも一直線にたどり着くあまり、「余計な本」が目に入ることはほとんどない。通販サイトには「この商品をお買い上げになられた方は…」などとオススメが出てくることもあるが、機械的に数冊が表示されるだけだ。
 
余計な本とは言ったものの、本を読んで「余計だったな」と思うことはあまりない。面白くない、自分に合わないと思う本はもちろんあるにはあるが、読んだことが余計だったと感じることは少ない。ネットで何でも手に入る世の中は、世界のあらゆるものを知り得る一方で、逆に世界を狭くしているのではないかと思えてしまう。
 
基本的にネットで何かを探すとき、検索欄に打ち込むのは自分の中にある言葉だ。それがさっき目にした、耳にしたばかりで何なのかを知らない単語という場合もあるが、打ち込んで検索ボタンを押すとズバリというページが表示される。その過程に他のものが入り込んでくる余地はない。
 
 
このあいだ本屋さんに行ってある本を探し店内をうろうろしていたら、その最中に見かけた本が気になって、結局3冊買ってしまった。ネットでお目当ての本を買っていたら他の2冊を買うことは今後なかったかもしれないなー、と思ったと同時に、ふと英語の先生の言葉を思い出した。

世の中が便利になったことは素晴らしいけれど、世界を広げるきっかけは面倒くさいことだったり、アナログなやり方だったり、そういうところにあるものだ。自分が本屋さんを好きなのは、そういうワクワクが待っているからなのかもしれない。