昨日(8/2)、図書館に西洋音楽史の本を借りにいくついでに、エネ庁(資源エネルギー庁)がマスコミを監視していたことについて、詳細を書いていた週刊誌AERAの最新号の記事をコピーしてきた。


 3月12日に原発の1号機の原子炉建屋が水蒸気爆発して、原子力発電所の外側に放射能が漏れるシビア・アクシデントが発生してからというもの、新聞3紙(日経、赤旗、朝日)の記事を読んでも不審がつのる一方だったので、週刊誌や一般向けの参考書を手当たりしだい買いあさってきたが、身の丈に合わぬ出費に苦しんだあげく、そろそろ財布がもたなくなっていたのと、さすがにもうじき五ヵ月になるにあたって、事故の関心というか事故に対する集中力が衰えてきて、8月になってようやくいつものペースと落ち着きを取り戻してきた。


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 事故を起こした原発の半径千キロ以内に国土の大半の1億2千万人が住む日本において、事故がもたらした深刻さは、チェルノブイリ原発の事故が広い国土に点在するベラルーシ(首都はミンスク)やウクライナ(首都はキエフ)に及ぼした影響と比べてもはるかに大きいと思えるが、情けないかな、ときが経つに連れて慣れてきてしまったようだ。放射能汚染の恐怖が、事故を起こした原発の作業所を除けば、すみやかに影響するわけでなく、数年あるいは20年後近くにならないとおもてざたにはならないことも、かなり影響している。


 週に何度か食べる魚の中にも、ほぼ毎日飲む牛乳の中にも、基準値以下の放射性セシウムや、ストロンチウムなどの検査されない放射性物質を含んでいて、食事のたびごとに体内に蓄積され、内部被ばくを起こしているに違いないが、それを避けるための十分な方法も対策も施していない現在、なんだか惰性的に、信用ならない政府の安全基準をいうままに受け入れてしまっている。


 結局のところ、今すぐになんとかしようとしても情報も特効薬も得られないのだから、無人島で救難船を待つぐらいの長い目でみるしかしょうがないという心境にいたったのだと思う。


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 そんなわけで、皮肉にも根拠のないゆとりが生まれてきて、精神的にもようやく落ち着いてきた。今までのようにいろいろな興味も生じてきたし、前よりは腰をすえて物事に取り組もうという気が起きてきた。徐々にブログも書けてくると思える。


 ただ心配なのは、元の生活に戻るにつれて、日々、被ばくしていることを忘れて、長い目で対策を探したり、身に着けようとする気持ちをおろそかにしてしまいそうなことだ。

 先ほど専門家の委員会が発表した生涯被ばく量100mSV(シーベルト)を超えないように、日々の食事管理や健康管理を立てられるよう地道に気をつけるようにしなければ、とも思う。


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