特殊慰安隊(第五種補給品) | 日本を性奴隷国家にさせた朝日新聞、社民党と共産党

日本を性奴隷国家にさせた朝日新聞、社民党と共産党

吉田清治の慰安婦捏造記事「私の戦争犯罪」を検証せずに、16回も報道した朝日新聞。32年後に訂正しても、河野談話で、日本は性奴隷国家。

https://www.news-postseven.com/archives/20150511_321285.html?PAGE=1#container

 

 韓国軍慰安婦の存在が初めて韓国メディアで報じられたのは2002年2月。慶南大学の・客員教授(現・漢城大学教授)が「朝鮮戦争中に韓国軍慰安婦がいた」という調査報告を、立命館大学の国際会議席上で発表したのである。この事は『朝鮮日報』を初めとする韓国の主要メディアで大きく報じられ、韓国社会に衝撃を与えた。

 

 金教授が根拠の一つとして挙げたのが、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公式資料『後方戦史・人事編』にある記述だ。



 現在、この資料を民間人が閲覧する事は困難であるが、筆者は僅かな手掛かりから資料の入手に成功した。

 

 そこには朝鮮戦争(1950~1953年)時の「特殊慰安隊」設置の経緯が次の様に記されていた。
士気昂揚は勿論、長期間の戦闘で異性に対する憧憬から惹起される生理作用がもたらしうる性格の変化、憂鬱症やその他の支障を未然に防止する為に、特殊慰安隊を設置する事になった
 

 資料では、慰安隊として活動する女性を「慰安婦」と称し、「週2回、軍医官が厳格な検診を行い、性病に対する徹底的な対策を講じた」事も明記されていた。性病検診を定期的に行うのは、慰安婦が不特定多数の兵士と性的な関係を持つ事を前提としていた為で、韓国陸軍はそうした組織を公式部隊として運営していた事が判る。

 

慰安隊はソウル市中区忠武路周辺と、日本海に面した江原道江陵地区にそれぞれ3部隊、そのほか江原道の主要都市である原州、春川、束草にそれぞれ1部隊が配置され、計9か所に89名の慰安婦が動員された。

 慰安隊の運営開始時期については定かではない。ただ、設置目的が朝鮮戦争で戦う韓国軍のためである事、前述の『後方戦史』に、1952年の特殊慰安隊実績統計表が掲載されている事から、1951年までには運営が開始されたと推定される。尚、慰安隊の廃止は1954年3月と明記されていた。

 統計表には、4部隊における1952年の利用実績が月毎に纏められている。利用者が多くなるのは春から夏にかけてで、最も多いのは8月の約2万2000名。1年間の利用者は延べ約20万5000名に上った。慰安婦は単純計算で1日平均6名以上の兵士の相手をしていた計算になる。



 金教授は、「上記9か所の固定式慰安所のほかに、移動式慰安所があった」ことも明らかにしている。後者は軍部からの要請があると、指示された部隊まで出張して特定期間テントを張り、そこで運営する形態をとっていた。

 移動式慰安所については、朝鮮戦争に参加した元韓国軍幹部の回顧録にも書かれている。例えば、全斗煥政権下で陸軍第二司令部司令官などを歴任した車圭憲氏は、回顧録『戦闘』(1985年)の中で、「24人用の野戦テントの内部をベニヤ板と防水布で仕切った野戦寝室に慰安婦は収容されていた」と、当時の移動式慰安所の光景を綴っている。

 また、同じ頃に首都師団の小隊長であった金喜午氏の回顧録『人間の香り』(2000年)によれば、移動式慰安所には「小隊ごとに2名(中隊全体で合計6名)の慰安婦が日中の8時間に限って宛がわれていた」という。

 さらに金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた。

 韓国軍の実際の軍補給品は食料や被服類、燃料など一~四種までで、慰安婦をそれに並列させるこの俗称は、慰安隊の女性たちが“物品”として扱われていた事を示している。これが「人権国家」を標榜する韓国の実態だった。