・「誰とでも話ができる」ということは、「誰の話でも聞ける」ということである。
・話を聞いてもらえないと、人は孤独になる。孤独な人たちは、自分の考えや感情を話す相手がいない。そして、それと同じくらい切実なのは、考えや感情を聞かせてくれる人もいない、ということである。つながるという行為は必ず双方向である。
・どのように話を聞いて、お互いが呼応し合う充実した会話をするかを学ぶ機会がない。
・ダメな聞き手の行動は、①話を遮る、②今言われた言葉に対し、曖昧だったり、筋が通らない反応をする、③携帯電話や時計、部屋の他の場所など、話し手以外を見る、④落ち着きがない。しかし、これだけでは優れた聞き手にはなれない。一見ダメな聞き手ではなくなるというだけの話である。聞くということは、「すべきこと・してはいけないこと」のチェックリストに従うことではない。心と考え方の習慣である。
・よく「聴く」とは、相手の頭と心の中で何が起こっているのか分かろうとすること。そして「あなたを気にかけているよ」と行動で示すことである。
・「聴く」とは、何かを教えたり、影響を与えたり、批評したり、評価したり、正しいやり方を示したりするものではない。「聴いてもらう」とは、あなたが何者であり何をしているかに、誰かが関心を持つということである。孤独を感じるのは、何か良いことが起こったかもしれないのに何も起きなかったという状況が積もり積もったことが原因になることが多い。
・良い聞き手になるテクニックは巷にたくさん溢れているが、聞くという行為には何よりも好奇心が必要である。好奇心があるということは、他の人の世界観を理解したいという切なる思いであり、また、人の話には驚きがあり、その経験には学びがあるという期待である。言い換えれば、相手が何をいうか自分にはわかっているとか、自分の方がよく知っているという思い込みがないということである。
・不確実性を避けたいがために人の話に耳を傾けないのだとしたら、そこで確実に起こることは、退屈な時間と、新しい学びがないためにあなた自身もつまらない人間になるだけである。
・付き合いが長くなると、思いやりがなくなるのではなく、相手を知っていると思い込み、好奇心を失っている状態であることが多い。私たちの誰もが、愛する人に関して思い込みをする傾向にある。これは「近接コミュニケーション・バイアス」と呼ばれている。
・ある人をどれだけ長く、もしくはよく知っているかは関係ない。耳を傾けるのをやめて仕舞えば、その人が何者であるかの理解を失い、関わり方もわからなくなってしまう。過去を頼りに今この人を理解しようとすると、確実に失敗する。
・第三者がいるだけで会話の質が変わる。それは、親しい人(配偶者や子供、親、友達など)とあなたが、他の第三者を交えて話をしていた時、あなたが知らなかった何かを親しい人が明かすことである。第三者が、あなたとは違う話の聞き方をしていたから、あなたには語ったことのない内容が出てくるのである。何を話すか、どの程度話すかは、その時あなたが聞き手をどう感じるかによって変わる。
・詮索は、人の信頼をもっと早く失う。
・先入観は、耳を傾けたいという気持ちや好奇心を弱めてしまう。みんな「自分には先入観がない」と思いがちであるが、誰もが先入観を持っている。
・親しい人に対しては、自分はもう十分知っていると、最も簡単に自己満足してしまう。一方で、知らない人に対しては、社会的シグナルから先入観を持つことで、その人に対する好奇心を失ってしまうことがある。しかし、「聴くこと」が、こうした罠にハマらないようにあなたを守る。相手の話に耳を傾けることが、思い込みからくる予想をひっくり返してくれるのである。
・「良い聞き手」とは、話し手と同じ感情になって聞ける人である。良い聞き手になるコツは、「この人はなぜこの話を私に聞かせているのだろう?」と常に自問しながら聞いてみることである。
・大量殺人犯たちは、誰も自分の話を聞いてくれない、理解してくれない、という感覚を共通して持っていたのである。そのため、今度は犯人の方が誰の話にも耳を傾けなくなり、たいていは捻じ曲がった言葉を自分に言い聞かせ、それだけに突き動かされるようになってしまったのである。
・優れた聞き手とは、他の人の経験や考えに喜んで耳を傾け、相手の視点を認められる人である。また、余っている処理能力を頭の中での寄り道に使わず、相手の話を理論的にも直感的にも理解するために全力を挙げている人である。相手の話を全力で受け止めた後、もし自分の言いたいことを考えるのが必要なら、間をあける。沈黙を恐れる人は多いが、誰かが意見を言った後に開ける間は、きちんと相手に注意を向けていた証であるため、実はあなたにとって有利に働く場合がある。
・「うまい言葉」が、信頼関係に必要なわけではない。何を言えばわからない時は「何と言っていいかわからない」と口にしてしまっても良い。または、「少し考えたい」というのも良い。
・話し手への質問は、自分の正しさを証明するためや、罠を仕掛けるため、相手の考えを変えるため、相手を愚かに見せるためではなく、好奇心から出なくてはいけない。
・自分と意見が合わない人に、敵のように反応したいと感じたその瞬間に、深呼吸して相手に質問をするようにする。相手の理論の欠陥を暴くためではなく、相手がなぜそう思うのか理解を深めるために質問をする。
・人として成長する唯一の方法は、反対意見に耳を傾けることである。
・聞き上手は「なぜ?」という質問を使わない。なぜなら、「なぜ?」という言葉は、人を身構えさせるからである。
・定量調査は、オンラインでの意見収集をもとにビッグデータを手に入れることができるが、定量的なデータは、データのある場所しかわからない。つまり、オンラインでデータを収集したら、オンラインのアンケートに答えられる集団のデータを取ることになる。そのため、定性調査と組み合わせることによって、定量調査で出てきてデータを説明し、その数字では足りない理由を詳らかにする。例えば、「話を聞く」という行為を組み合わせることで、よりデータを理解でき、より良いアルゴリズムをつくることができる。なぜなら、定量的なデータに基づいて作られたアルゴリズムは、可能な限り正確な推測をしてくれるが、物を理解しようとしない。データに現れた人たちを実際に、本当の意味で深く理解することで、定量調査だけの時よりも良いアルゴリズムを構築することができる。
・能力の高いチームは、「社会的感受性の平均値」が高い。つまり、声のトーンや顔の表情など非言語的な手がかりをもとに、お互いの感情を直感的に読み取る能力に長けている。
・親密な関係、規定概念を乗り越える思考、チームワーク、ユーモアは全て、自分が話をコントロールしたいという思いから解放され、その話がどこに向かうとしても共に歩む忍耐と自信のある人のところにやってくる。
・相手の言っている意味がよくわからない時に、人は話を止めて尋ねるのを躊躇してしまうが、辻褄の合わない会話を取り繕うことは絶対にしてはいけない。重大な失敗の最大の要因だからである。
・多くの人が、自分に批判的な内なる声を持っている。内なる声が、親切でオープンな考え方を提案してくれるようになると、ウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること)の感覚が促進されることが証明されている。
・「ずらす対応」は、人と繋がるチャンスを悉く潰す。ずらす対応は基本的に自分について話すものであり、受け止める対応は多くの場合他者に向けた質問である。ただしこの質問は、真摯な好奇心に基づいた物である必要がある。
・別のタイプの「ずらす対応」とは、動揺している人や悲嘆に暮れている人の話を聞いた時、自分が相手の感情を苦痛に感じてしまうため、その問題を解決してあげようとしたり、安心させようと説得してしまう時に起こる対応である。この対応は、避けるべき対応であり、例えば、どんな気持ちか自分にも理解できるという、問題の原因を突き止める、その問題についてどうすべきかをいう、相手の心配事を矮小化する、無理やりポジティブな視点や陳腐な言葉を使って違う見方をさせようとする、相手の強さを称賛する。他の人の問題を知ったからといって、あなたがそれを解決しなければならないわけではなく、人は大抵、あなたに解決して欲しいだなんて思っていない。ただ、壁打ち相手が欲しいだけである。あなたができる最善の策は、相手の話にただ耳を傾けることである。
・オープンで正直な質問には、相手を治してあげようとか、救ってあげよう、助言してあげよう、正してあげようなどという隠された意図はない。
・右利きの人は、左耳で聞くより右耳で聞いた方が、言葉の意味を深く、早く理解できる。右耳は言葉を聞き取り、左耳は感情を聞き取る。
・人が会話に抱く期待は次の4つ。①質。真実を望む。②量。自分がその時点で初めて主情報を、圧倒されない程度の量だけ知ることを望む。③関係。こちらに関係がある内容と論理的な流れを望む。④様式。適度に簡潔に、順序立てて明瞭に話すことを望む。