「菜食主義とか色々主に浮世離れな話」です。見たい人だけ見てね。 | 気ままにダイアリィ。

「菜食主義とか色々主に浮世離れな話」です。見たい人だけ見てね。

誰に押し付ける訳でもないし、あくまで私の感じている事を書こうと思います。
人生のある一時から本気で「嫌がる生き物の命を奪って食べる」という行為がとてつもなく怖ろしい事だと思うようになりました。魚も動物も虫もいざそのときになれば絶対に抵抗する。殺されたくないと意思を示します。その上で出来上がったお肉やお魚を食べる……。それが自分の可愛がっている生き物、ましてや子供だったら?親だったら??そこまで考えてしまう時期がありました。
自分自身を「絶対的に他の生き物を食べなければ生きていけない肉食動物」とは違う動物に生まれて、他の動物にはない感情や理性を持ち、自らの生き方と生命維持のための食物を選択する「自由」を与えられた「人」という生き物として考えた時、何の抵抗もなく生き物の命を頂いて生きてきた今迄の自分に物凄く違和感を覚えたのです。

同時に日本人は遥か昔から「命」を食べるという事の重大さを感じていてごく自然に「頂きます」「ご馳走さま」の言葉が生まれたんだとも考えました。
正直、私は自分で殺して食べなさいと言われたら絶対食べないし、他に食べるものが無いなら本気で飢え死にを選択すると思う。簡単に言うなとか綺麗事だよと思われても構いません。初めに書いたけどこれは私の考えであり、個人で思う代わりに誰に強制している話でも無いのだから…。
それに、何を言っても食べたい人は食べるし、またそれも人間の業というか、その人の問題だし、例え強制的に止めさせたとしてもその人が心から「あぁ、嫌だな」と感じて止めるのでなければ争いの元。何事も強制には意味がないと思うのです。
たま〜に意地悪い意味で「野菜や果物はどーなんだよ」という人たちが居ますが、少なくとも植物は自らの意志で行動しません。マンドラゴラみたいに引き抜く時物理的に悲鳴を上げるでしょうか?聞こえなくても上げているのだ、という事が言えるのなら「殺さないで!」「痛い、やめて!」と態度で訴える事の出来る動物達の命はどうなるのでしょうか。確かに植物にも命はあると思いますが、それはどちらかと言えば鉱石や風、水と同じ部類に分けられると私は思うのです。
少なくとも動物達には意志、人とは違っても彼らなりの感情がありますよね…。
ましてや人間の都合で劣悪な環境の中、ただ食べられる為、殺される為だけに生まれてくる命はあってはならないと思うし、それを生業としている人間達のことはどんな正当な理由、綺麗事を並べられても好きにはなれないし、歩み寄る気にもなれないのですが…心が狭くてごめんよ😓

…少なくとも昔の日本には、山の狩人には狩人の、海の漁師には漁師の「命に対する真剣さ・マナーとルール」があった様に思います。それは日本古来の自然信仰との結びつきもあったろうし、他の命を尊び、いたづらに弄ばないという教え、矜持や誇りとも言えるものだったと思うのですが…。
何が言いたいかって言うと、今の日本ではもう手遅れかも知れないし、本当に甘い考えだと自覚していますが、一人でも多くの人が再度「命」について考えることで少しずつでもこの現代日本に溢れる様々な問題、動物虐待や弱い立場の者への暴力、他人に対する非道な行いが減って、将来もっと優しい、それこそ和を以て貴しとなす日本に変わって欲しいと切に思った故なのです。現実は…どんどんかけ離れて行っていますけどね。

情けなくも私には金銭的余裕はないし、他の活動家や団体のように大きな力も持っては居ないのでせめてこんな誰も見ていないようなブログででもせめてキッカケのキの字位になれれば…なんてちょっと思ったりもしてみたり。

何やら個人の意見と世間批判がごっちゃまぜな文章になってしまいましたが、自分のことは棚に上げ、普段私はこんなこと考えてるのよ〜という事をお伝えしたくて書いてみました。
Xで呟くにはちょっと…と思ったので…。
勿論食事は楽しむのが一番だと思うし、捨てられる位なら感謝して食べる方が良いという考えですし、全くの、菜食主義という訳ではないのでまぁどの口が言うのかと思いますが、個人的には精進料理が大好きなのです。椎茸と高野豆腐の煮物最高!油揚げ炒めるとパリパリィ!めっちゃ美味い!胡麻豆腐万歳!ふわふわしっとり白和え!おからもいいねぃ!生湯葉は最早神の食べ物!!!(書いてたら食いたくなったゾ🤤)
なので、肉魚は食べなくて済むならそれに越したことは無いと思っているのでした。