西谷浄水場。
山のてっぺんにあるそこは、
公園として公開もされていました。
らいあが入らないわけはありません。
ただだしw
午後四時前。
人は他に女性が一人、ベンチで何か書き物をしているだけ。
清流到りて大河を成す。
山のてっぺんなので、到ると言うよりはここから始まるって感じですが・・。
「やがて」成す、ってことでしょうかね。
タイムカプセル。
100年後。
そこに私はいません・・。
きりはいいけど・・どうなんだろ。
あけたときにそこにいた人が誰もいないってのは・・・・。
これはああでこうで・・と、
みんなに話せる人がいるくらいの未来へ向けたほうがいいんじゃないのかな。
50年・・・ながくても80年くらいの未来へ向けたほうが、100年先より意味があるんじゃないのかな。
そこにあるものには、多分それぞれに意味がある。
夕方だから下を向いたってわけじゃあなさそうですw
水の近くで、静かなこともあるのか・・・
古い水道設備が、なんだかジブリの世界のように感じます。
それはラピュタの世界・・・?
わざわざ造ったものでなく、かつて使われていたモノたち。
ロボットはどこでしょう・・・。

物語りも用意されていましたが、
ガイドブログではないので詳しくはお伝えいたしませんw
もしも行くことがあったらごらんください(≧ε≦)
横浜の水が浄水場でろ過され、蛇口をひねれば出るようになったのは、今から114年前になります。
安政6年(1859)の開港をきっかけに人口が急激に増加し、慢性的な水不足に悩まされ、伝染病が発生したり、消火活動にも支障をきたすようになってしまいました。
明治16年(1883)、神奈川県がイギリス人パーマーに近代水道をつくるための調査を依頼し、明治20年(1887)10月に日本で初めての鉄管による水道が完成。
現在の津久井町から鶴ケ峰を通り、野毛山配水池まで太い水道管が引かれました。今でもそこは“水道道”と呼ばれています。
その後、浄水場や配水池などの8次にわたる拡張工事が行われ、大正4年(1915)に“西谷浄水場”ができました。落成を祝い、余興に相撲をするなど多くの人でにぎわったそうです。
当時、保土ケ谷町はまだ横浜市ではなく町営水道だったため、水道料金も横浜市内に比べて1.6~3倍近く割高でした。
日本の近代水道発祥の地、横浜。その水道の通り道だった保土ケ谷町と西谷村が横浜市の仲間入りをしたのは昭和2年(1927)のことです。
やっぱり高いなあ・・ここ。


















