前回紹介した記事はとても素晴らしい記事であると思います。
まさに民主党政権=衆愚政治の本質を捉えた記事であると思います。
「コンクリートから人へ」
言葉にすればよい響きで、多くの人がそのようにすべきと思っていることは理解できます。
しかし、決定的に問題なのは「多くの国民がその覚悟ができていない」ということです。
多くの国民は「自分には害はない」と思っているが、そうではないのです。
鳩山政権は、いわゆる社会的弱者を救済する方針を示し実行しています。
生活保護費拡充(母子加算)、手厚い失業給付、肝炎や原爆症被害者の保障、本人の申し出による消えた年金の復活、奨学金制度の拡充…
もちろん必要なものもあるが、今のところたいした議論もなく無制限に認められています。
反対しようものなら、「お前は弱者を切り捨てるのか」と猛烈な批判をあびるでしょう。
しかし、そうやって社会的弱者の救済を無制限に認めていって、その財源が無駄削減というのであれば、
いずれは社会的弱者でなかった人も社会的弱者に転落していきます。
例えば、公共事業の削減による建設業者の失業であり、独立行政法人で働く人々(独法で働いているのは天下り役人だけではありません)の失業です。
わかりやすくするために公共事業(橋を作る)で考えてみます。
橋を作るために、組み立てる人が必要であり(建設業者)、材料が必要であり(鉄骨、コンクリート業者)、材料を運ぶ人が必要であり(運搬業者)、検査する人が必要(検査業者)です。また、副次的効果として、工事現場近くの食堂や飲み屋も潤うでしょう。そこではたくさんの業者が介在し、雇用が生まれています。
そういう風に使ってきたお金を社会的弱者救済に充てることになるわけです。
確かに社会的弱者の生活水準は少しは上がるかもしれないが、日本国全体の利益で考えたとき、非常に大きな損失となるのではないか。誤解のないように言っておきますが、私は無駄な橋を作ることを推奨するわけではありません。ただ、そういう議論がなされずに安易に「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズに社会全体が流されていることに大変危惧しています。
社会の変化に合わせて産業構造、雇用も変化すべきと主張する人たちもいます。
つまり、余剰人員の建設業、製造業から人手不足の福祉や林業などへの労働者の移転です。
しかし、実際はどうでしょう。福祉分野の人手不足は慢性的です。
仕事はあっても、ハローワークでは自分のやりたい仕事を探すばかりで、それが見つかるまで失業手当と生活保護で食いつなぐのが現状ではなかろうか。そのうち、そういう生活に慣れて仕事を探す気力もなくなる…そういう人は少なからずいるであろうし、これからも増えるでしょう。充実した弱者救済制度がそれを後押しするはずです。
福祉分野の給与水準を上げて職業訓練をすれば、福祉分野の労働者は増えると主張する人もいるが、そんな単純な話ではないと思います。
人が好きでなければ、福祉の仕事などできないであろうし、もっと言ってしまえば、建設や製造で働いていた人が福祉分野にどれほどの適正があるでしょうか。
これは何も建設業だけのことではありません。
結局、みんな他人事なのです。
「私は嫌だが、お前が変わればよい」
こんなことでうまくいくはずがない。
失業者を救済してやれと言っていた人が気が付けば自分が失業者になっている。
民主党政権のバラマキ政策が日本の経済力、活力を奪っていくことは明らかです。
日本は近い将来深刻な事態に陥ると思います。