官僚のやることは全て悪か。
マスコミは官僚は悪であると決め付け、政治家もそれに便乗する。
でも、あなたは官僚の生の意見を聞いたことがあるだろうか。
マスコミが用意したコメンテーターの話や雄弁な政治家の話をテレビで見ることはあっても、官僚の話を生で聞いたことはないのではないか。たまに彼らの話を聞くことがあっても、それは司会者やコメンテーターの反論が付いていたのではないか。
明治以来、日本は官僚制度によって発展したきたのは紛れもない事実であり、官僚制度を擁護する人間もいるはずなのに、その意見が全く報道されないのは、マスコミが報道規制しているからに相違ない。
脱官僚、官僚主導が全て悪と言うけれど、そもそも私は今までだって充分に政治主導だったと思う。各省大臣が省庁の最高責任者であり、官僚は大臣の了承がなければ何も出来なかったのだから。会社で言えば、大臣は社長であり、官僚は社員である。
もし、仮に官僚に操られていたとするならば、それは官僚が悪いのではなく、操られていた政治家が悪いのだろう。もっと言えば、そういう政治家を選んだ有権者も悪いということになる。
官僚は、常に政治家(与党)に従ってきたのである。例えば、農水省の事務次官が選挙前に民主党の政策を批判していたが、民主党政権後は従う意向を見せている。これは、「政治主導」の結果でも何でもない。官僚はただ自分の職責を全うしているだけである。
確かに、渡りの問題や社保庁の不祥事など官僚側にも正すべきところはあり、全面的に擁護するつもりはないが、行き過ぎた官僚バッシングは必ず日本の将来にとってマイナスになるであろう。官僚の士気が低下するだけでなく、官僚を志す優秀な若者がいなくなるからだ。
日本の最大の問題は、マスコミが世の中の善悪を判断するところにある。
つまり、今回の問題であれば、有権者が「官僚が悪か」を判断する前に、マスコミが「官僚は悪である」と決め付け、悪であることを示す情報ばかりを報道して、有権者を洗脳していく。
どんなによい政策であろうと、マスコミが悪と決め付ければ、悪いデータばかり報道するし、逆もしかりである。
そして、マスコミが政策の良し悪しを決める基準は、どのように報道すれば視聴率を取れるかであり、日本のためでは決してない。
本当の政治主導とは、「官僚の手から政治を取り戻す」のではなく、「マスコミの手から政治を取り戻す」ことなのである。