駿河の国で寄り道(48)「呉服町・駿府96ケ町(6)」 | れいんぼうの部屋

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」では「駿府96ケ町」を巡っている。

 

 

今回は「駿府96ケ町」の「呉服町」周辺を探索してみる。

 

大御所となった徳川家康が駿府城の改修と町づくりのために呼び寄せた職人や商人を区画ごとに住まわせた96区画の街並みを「駿府九十六ヶ町」と呼んだ。

 

 

静岡の商店街の中心地として栄える「呉服町通り」。

かつての繁栄ほどでは無くなったが、今でも様々な商店が立ち並ぶ繁華街。

 

〇呉服町商店街

 

 

 

600m続く「呉服町通り」の端に静岡銀行本店があり、その前に町名碑がある。

 

〇静岡銀行本店

 

 

〇呉服町の町名碑

 

 

説明書きを読む。

駿府96ケ町のうち
呉服町(ごふくちょう)
呉服町は駿府城大手門の南に位置しています。町名は古くからこの地が呉服所であったことに由来するとされています。家康公在城時には、呉服商人が当地に居住し、城内の呉服の御用を務めたと言います。一丁目の旧家友野家は、絹布などを売買する商人として天文年間(1532-1554)より活躍していました。
慶長14年(1609)、駿府の町割りの際は一丁目から六丁目が造られ、元禄5年(1692)の「町数等覚帳」では、併せて83戸余、741人余が住んでいたとされます。
昭和20年、周辺の町を含む再編成により、呉服町一丁目から三丁目が一丁目、四丁目から六丁目が二丁目となりました。

 

 

 

呉服町の町名碑から静岡駅方面へ戻り、七間町との交差点に「札の辻町」の町名碑がある。

 

 

〇札の辻町の町名碑

 

 

説明書きを読む。

駿府96ケ町のうち

「札之辻町」(ふだのつじちょう)

札之辻町の町名は、江戸時代、ここに高札場があったことに由来します。

「元禄5年駿府町数並家数人数覚帳」によると、札之辻町の家数は11軒、人数132人でした。

高札とは幕府の法令を庶民に徹底させるため、各地域の要所に設置された掲示板です。札之辻の高札場は、現在の七間町通りと呉服町通りが交差する駿府城寄りの道の中央に立てられていました。札之辻界隈は、当時から商家が軒を連ね、多くの人々で賑わっていたようです。

また、近世の東海道は、この四つ辻で直角に折れ、七間町と呉服町を結んでいました。

昭和20年札之辻町は呉服町・両替町・七間町の一部になりましたが「札之辻」の地名は今も市民に親しまれています。

 


 

次回は「両替町」周辺を訪ねる。