今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。
「駿河の国の見どころ」での前回は「足久保茶と聖一国師」に触れた。
今回は「安倍城址」
歴史を感じる場所と言えば「神社仏閣」が多くなるが目先を変えて城跡へ出かける。
建物は残っていないが安倍城という山城があった。
安倍川右岸にある標高約500mの山頂に位置する。
登り口は「洞慶院」「増善寺」「西ヶ谷」の3ルートが有名だが今回は「西ヶ谷ルート」。
〇西ケ谷の総合運動場と清掃工場の間の道を入る。
〇道は二又になる右を進み運動場から800mほどで突き当たる。
〇道の突当りの所に「安倍城址」との案内標示があって、そこから山道を登る。
畑の間のかなり急な山道を登る。
約10分ほど急なつづれ折りの道を息を切らしながら登ると尾根に出る。
〇杉や檜の林に入ると道は緩やかな登りになる。
ここは3叉路。
今来た「西ヶ谷方面」。
もう一つの登り口「内牧方面」。
そしてこれから行く「安倍城址方面」。
〇空掘
深くえぐられたような地形があった。
〇所々に案内が書かれている。
〇道標
「増善寺」は慈悲尾方面からの道。
そして「安倍城址」。
尾根伝いの山道を進む。
斜度は大きくないので登り始めに出会った急登の時の疲労が取れてくる。
〇尾根
だんだん辺りが明るくなってきて頂上に近づいたことが感じられる。
〇安倍城址へ到着。
広場になっている山頂には石碑が立っていた。
ここに城があったのだろう。
〇石碑
「安倍城跡」と書かれている。
40分ほどの短時間、休憩なしで登った。
非常にハードだった。
〇もう一つの石碑。
文字が擦れて読めない部分があった「芙蓉白雪放霊夫」と読めた?
〇洞慶院方面への道。
山頂周辺はかなり急峻な崖が多い。
〇崩れた石組
所々に城の名残りが見られる。
石を積んで崩れたような場所。
〇見晴らしは良く富士を見ることができる。
〇市内も一望できる。
遠く伊豆まで見晴せる。
山頂にあった石碑の裏に城の謂れが書かれていた。
鎌倉幕府滅亡後、全国を二分して争われた南北朝時代に、後醍醐天皇が率いる南朝方に加わった内牧を本拠地とする狩野介貞長一族が北朝方の駿府今川氏と相対していた。
狩野氏は広範囲に出城や砦を配置した城砦群を築いた。その本城が安倍城である。後醍醐天皇の皇子宗良親王をこの地に迎えるなど駿河南朝方の拠点として今川氏との攻防を繰り返してきたが14世紀中頃廃城となった。
平成7年11月 安倍城跡の会
バスで来てれば「洞慶院方面」へ降りるのも良い選択だったが、残念ながら自転車まで戻る。
次回「駿河の国で寄り道(25)」では「賤機山城址」に出かける。