駿河の国で寄り道(2)お浅間さん | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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令和4年4月から約1年かけて「府中宿」周辺のwebで開いた古地図を頼りに東海道を巡ってきた。

 

今度は趣向を変えて、

東海道にこだわらずに「駿河の国で寄り道」して巡ってみる。
 

初回は折からの家康ブームに乗って「駿府城公園」へ寄り道してみた。

 

今回は「お浅間さん」こと「静岡浅間神社」へ行ってみる。

 

静岡駅から北へ約1km

駿府城址の西はずれに中町交差点があり、大きな赤鳥居が見える。

 

〇浅間神社の赤鳥居

赤鳥居から500m続く門前町の浅間通り入口。

 

浅間通りの突き当りが浅間神社境内。

「静岡浅間神社」はいくつかの神社が集まっている。

 

入ってすぐに出迎えてくれるのは「大歳御祖神社」

 

 

〇大歳御祖神社の門

 

〇大歳御祖神社

由緒書きを読む。(概略)

<大歳御祖神社>おおとしみおやじんじゃ
大歳御祖命 別名 神大市比売命 配祀神 雷神
応神天皇4年(273年)の創祀と伝えられる。

万葉集にも歌われている「安倍の市」の守護神。

主祭神は倉稲魂命(稲荷大神)の母神で、農・工・商業の守護神として崇められている。
国の重要文化財に指定されている。

 

「大歳御祖神社」から「神池」を横目で見ながら100m境内を歩くと社務所の前に「八千戈神社」がある。

 

〇八千戈神社

由緒書きを読む。(概略)

八千戈 (やちほこ) 神社(重要文化財)
本境内社は明治以前は徳川家康公が合戦で常に奉持した念持仏の摩利支天を祀ったことから、東照公ゆかりの摩利支天社と称された。
維新後の神仏分離に際し金印木像は臨済寺に遷され、以後、八千戈命を御祭神とする。
勝負事の祈願所として広く信仰を集めている

 

「八千戈神社」の北に鎮座する「浅間神社」と「神部神社」には「楼門」から参拝する。

 

〇楼門

 

門の脇の看板に祭神の名が書かれている。 
神部神社 大己貴命〔おおなむちのみこと〕(別名大國主命)
淺間神社 木之花咲耶姫命〔このはなさくやひめのみこと)

 

〇大拝殿

ここ「せんげんさん」は「あさまじんじゃ」と「かんべじんじゃ」がメインの場所に並んで鎮座している。
メインの両社は特別に依頼しないと参拝できない。普通はこの大拝殿で参拝する。

 

大拝殿の奥に樹木に囲まれて「浅間神社」と「神部神社」が並んでいる。

 

〇「浅間神社」と「神部神社」

由緒書きを読む。

徳川3代家光将軍時代 日光東照宮と共に大造営された社殿はおしくも火災にて焼失した。
現社殿は11代家斉将軍時代文化年間幕府直営にて巨額の費用と多年の星霜最高の技術を駆使して造営されたもので豪壮華麗の美極まり「東海の日光」と称されている。

大拝殿は他に類のない特殊な重層楼閣造りで世に「浅間造」と称され等神社の象徴建造物。
 

〇少彦名神社

境内の北に位置する。(概略)
本社は少彦名命を主神とし、他に神部神社末社14社の祭神を相殿する。
もと神宮寺薬師社と稱し、薬師12神を祀っていたが、維新後神仏分離に際し、臨済寺に遷され現在は少彦名命をご祭神とする。
欄間に飾られた立川流彫刻「十二支」は名作として著名。

 

 

少彦名神社の奥、山を背にして玉鉾神社が祀られている。

 

〇玉鉾神社

説明書きを読む。(概略)
本社の北側に鎮座。社殿は伊勢神宮の御古材にて昭和51年再建された。
祭神は羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤。国学の四大人明治9年県内神官により 官許を得て創祀され、受験・学問の神と仰がれている。

 

 

「八千戈神社」まで戻って、石段を登る。

 

〇百段


百段の階段を上って左に行くと古墳がある。

 

〇賤機山古墳

きれいに整備されていて説明書きがあったので読む。(概略) 
葬られた人物は特定できない。

6世紀後半にこの地方を治めた有力な豪族の墓と考えられる。
古墳の形は、直径約32m・高さ約7mの円墳で、内部には巨大な横穴式石室が造られ、石室内には遺体を納めた家型石棺が置かれている

 

 

古墳から尾根伝いに少し上ると「麓山神社」

 

〇麓山神社

「はやまじんじゃ」と呼ぶ。 
参拝の栞に説明があったので読む。(概略)
古来、賤機山上に鎮座。「山宮」と称せられた。
本社の別宮。漆塗極彩色。

大山祇命(おおやまづみのみこと)を主神とし、日本武尊を配祇する。
主神は本社浅間神社の木之花咲耶姫命の御父神。

 

 

「麓山神社」の脇の山道を500mほど登ると開けた山頂に出る。
 

〇賤機山からの眺望

「浅間山」とも呼ばれ、富士山や静岡市が一望できるビューポイント。

昭和の頃に静岡鉄道が運営するリフトが「浅間神社」脇から稼働していて展望広場へ誘っていた。

 

山頂広場には「観音さん」が建っている。

 

〇戦禍犠牲者平和観音像

救世観世音菩薩縁起を読む。(概略)
静岡市は昭和19年11月5日から終戦までB29の侵攻を受け被害は非常に大きかった。

空襲による被害は被爆度数12回死者1813名重傷者830名全半壊建物148戸焼失建物25239戸に上る。

特に昭和20年6月19日夜半過ぎよりB29の大挙来襲により受けた空襲により全市が壊滅状態となった。

戦災者は永年の家産と貴き人命を一朝に失いその惨状は筆舌に尽すことは出来ない。

元市会議員団市連合町内会婦人団体その他諸団体各位の協力と援助により、御霊の冥福と世界人類の平和を祈念して1969年12月に建之した。

 

 

この「戦禍犠牲者平和観音像」と隣に建つ「B29墜落搭乗者慰霊碑」は僧侶の伊藤福松さんが私財を投じて建立したもの。

伊藤福松さんは米兵23名の遺体を埋葬するなど敵味方の分け隔てなく弔った僧侶。

毎年6月に遺族により慰霊祭が行われる。今では米軍の関係者も参加して日米合同慰霊祭として実施されている。

 

日米親善の証として米軍から「ハナミズキ」が2014年に送られて植樹されている。

 

〇ハナミズキ


 

山を下りて「神池」まで戻る。


「神池」脇にも日米親善の証として植樹された「ハナミズキ」がある。

 

〇「神池」脇のハナミズキ

 

2023年1月末から「神池」の前に「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」が開館した。

「ドラマ館」は「文化財資料館」を改装して一年間の期間限定でのOPEN。

暖かくなって客足が落ち着いたら行ってみるつもりだ。

 

 

今回は「お浅間さん」を一回りしてみた。

 

「駿河の国で寄り道(3)」では約1km北にある「臨済寺」へ。