駿河の国をwebで歩く(76)「蒲原宿その3」 | れいんぼうの部屋

れいんぼうの部屋

釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

**********************************

上の古地図のリンクを開いて、「蒲原宿編」を選択して散歩する。
 

 

前回は「蒲原宿」の「西町」周辺を巡った。

 

今回は「蒲原宿」の「柵町」と「本町」周辺を巡る。
 

妙隆寺から街道へ戻った所に「増田家」という格子戸がきれいに磨かれた家が左手にある。
 
〇蒲原宿格子戸
 
このあたりは東海道を彩る建物が多く残る町並み。
「増田家」から100mの右側に「志田邸」がある。
 
 
〇志田邸
説明看板を読む。(概略)
<国登録文化財「志田家住宅主屋」>
蔀戸(しとみど)のある家。
志田家は「ヤマロク」という屋号で、味噌や醤油の醸造を営む商家。
1854年の大地震後に再建された東側2階建て部分は「通り土間1列型」と呼ばれる町屋形式の典型。
蔀戸とは、日光や風雨などをさえぎる多目的な戸のこと。
平成13年9月14日に国登録有形文化財に登録された。
 
 
「志田邸」から50mたらずの左側に素敵な洋館が目につく。「旧五十嵐歯科医院」だ。
 
〇国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」
説明看板を読む。(概略)
大正時代の洋館
町家を洋風に増改築した擬洋風建築と呼ばれる建物。
外観は洋風、内観は和風。
大正3年、五十嵐準氏が自宅を3回にわたり洋風に改造し、歯科医院を開業した。
 
 
旧五十嵐邸のすぐ前に南から出会う路地が、かつての御殿道だったらしい。住宅の脇に碑と看板が立っていた。

〇御殿道跡
説明看板を読む。(概略)
このあたりに「蒲原御殿」があった。
武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた。
二代将軍秀忠、三代将軍家光が東海道を往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなった。
御殿の正確な位置はわからないが、このあたり一帯の相当広い地域を占めていた。
背後の山を「御殿山」。ここから下る道を「御殿道」と呼んでいる。
1634年の家光上洛以降、「蒲原御殿」は使用されなくなった。
 
 
〇高札場跡
旧五十嵐邸のすぐ先にある柵区会館の前に看板が立っているので読む。(概略)
宿場や村には必ず高札場が設けられ、民衆に法令や定を周知させていた。
1711年に出された五高札が有名で墨書で掲げられた。
(1)伝馬に関する定
(2)忠孝を奨励する定
(3)毒薬や贋銀売買禁止の定
(4)切支丹宗門禁制の定
(5)火付(放火)重罪の定
また貨客運搬の駅馬や人足の賃銀も改定のたびに掲げられた。

柵区会館の路地は若宮神社の参道となっている。

〇若宮神社

「西町」にあった「和歌宮神社」とは読み方が同じでも別の神社。
鳥居をくぐると拝殿があるが本殿は急な階段を上った所にある。気をつけないとかなり危険な階段だ。 
 
街道へ戻ると目に付いた洋館。
 
〇楳田医院

10年前の写真。
どこで撮ったのか忘れてしまった。
現在は探せなかった。
蒲原で医院といったら洋館が定番だったのだろう。

「楳田医院」の在ったと思っていた先に「磯部家」がある。

〇磯部家
説明書き看板を読む。(概略)
<手づくりガラスと総欅の家(磯部家)>
1909年に建築された。
すべてが欅づくりの家。
2階の窓ガラスは、波打つような面が美しい手づくりのガラス。



〇蒲原宿

磯部家のすぐ先に信号機があって、蒲原城址や善福寺へと向かう道と交差する。
交差点から見える家も謂れはわからないが古い。


〇本町会館

信号を渡ってすぐの右側に本町会館がある。煉瓦の塀が建っているが、何かの名残なのだろうか?

本町会館の隣に黒塀の屋敷がある。
西本陣跡。

〇西本陣跡

黒塀に囲まれ威厳がある。
説明看板を読む。(概略)
<本陣跡>
本陣は、街道の宿場に置かれた勅使、大名、公家などの貴人が宿泊した大旅籠。
主に大名の参勤交代の往復に使用された。
ここは当宿の西本陣(平岡本陣)の跡で、かつてはここより100m程東に東本陣(多芸本陣)もあった。
本陣の当主は名主、宿役人などを兼務し、苗字帯刀をゆるされていた。

 
古地図を見ると「本町」に本陣が在り、西隣に「脇本陣」も描かれている。
今は脇本陣の跡は分からなかったが「本町会館」のある場所なのだろうか。
 
「西本陣跡」の向かい側に旅籠だった建物がある。

〇和泉屋鈴木家

説明看板を読む。(概略)
<旅籠「和泉屋」(鈴木家)>
江戸時代「和泉屋」という上旅籠。
天保年間(1830~44)の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れた。

旧東海道を進むと間もなく「山居沢」の橋を渡る。

 
〇山居沢の橋

小さな川を跨ぐ小さな橋がある。
記念碑があるというので川を下ってみる。
 
川の脇にポケットパークのようなスペースがあって、記念碑が建っている。

〇「蒲原夜の雪」記念碑
説明看板を読む。(概略)
「蒲原夜の雪」の絵は、歌川広重が、1832年幕府の朝廷への献上使節の一行に加わった際、この地で描いた。
東海道53次シリーズの中でも最高傑作といわれている。
 
〇蒲原夜の雪

現在の蒲原にはこのような豪雪が見ることはできない。
広重の創作した心象の風景ではないかと言われたり、「越後にある蒲原」の絵を参考にしたのではないかという説まで様々な説が語られている。
ただ13世紀末から19世紀まで地球全体が「小氷河期」(ミニ氷河期)だったともいわれていて、中でも1640年代半ばから1710年代半ばにかけての時期は「マウンダー極小期」と言い現代と同じ気候だったかどうかわからないので、蒲原が雪におおわれた時もあったのかも知れない。
 
 

今回は「蒲原宿」の「柵町」と「本町」を散歩した。


次回は「本町」の続きから「東木戸」までを巡る。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
*****************