駿河の国をwebで歩く(75)「蒲原宿その2」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて、「蒲原宿編」を選択して散歩する。
 

 

前回は「蒲原宿」の「西木戸」までやって来た。

 

今回は「蒲原宿」の「西町」周辺を巡る。
 
〇蒲原宿西木戸
この西木戸の案内碑から左へ曲がると旧東海道の趣きある街道になる。

この「蒲原宿」の説明看板に次のように書かれている。
当時の宿場は現在のJR東海道線の南側にありましたが、元禄12年(1699年)8月15日に宿場を襲った大津波(大型台風)により大きな被害を受け、元禄13年(1700年)に山側(現在地)に移転した。

移転前の「蒲原宿」があった場所は標高が約3mの海岸沿い。
 
この「蒲原宿」の移転には別の説がある。
1700年1月26日の米西海岸沖に発生したM9クラスの地震による津波だったというもの。
津波の高さは場所によって5mに達していたらしい。
当時の日本では旧暦だったので1699年(元禄12年)の年末。
震源がわからない「みなしご津波」として徳川幕府に記録されている。
 
 
閑話休題。
 
県道から離れて古い町並みへと入る。
 
〇蒲原宿

 
ここから蒲原宿の「西町」となる。
この辺りは海抜10m。
 
 
旧町役場の「蒲原新田公園」手前を右に曲がると突当りが古地図にも描かれている曹洞宗「道場山 泉龍寺」だ。
古地図で見ると「新田村」に少し戻ることになる。
 
〇泉龍寺

 
 
泉龍寺の西隣に古地図にも描かれている臨済宗妙心寺派「萬松山 城源寺」がある。
 
〇城源寺の参道
 
〇城源寺の本堂
 
泉龍寺のすぐ東側が和歌宮神社。
県道から参道をたどる。
古地図には「若ノ宮・浅間」と書かれている。
 
〇和歌宮神社参道
参道より西を「蒲原新田」、東を蒲原宿の「西町」。
「和歌宮神社」は「西町」。
 
〇和歌宮神社
入口に看板があったので読む。
和歌宮神社の由来
御神体 山部赤人大神  木花開耶姫命
草創 田児の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける
奈良初期の万葉歌人36歌仙の一。古来、柿本人麻呂と共に歌聖と称された自然歌人。736年、東道に際し、当蒲原宿吹き上げの浜より富士山を望み反歌を詠せらるとの因縁を以てここに一社を建立、和歌の宮と称し、また富士を歌題とせし縁故により富士浅間木花開耶姫命を祭り浅間と奉称した。
<注> 蘆原郡多胡浦浜に黄金を獲てこれを献ず「続日本記」多胡浦浜とは、清水区蒲原海岸全域を指し、特に風光明媚な、吹上げ附近の浜と言い伝えられている。
<略歴> 蒲原城合戦・永禄12年(1569年)12月 甲斐の国武田信玄との三度びの戦いにより蒲原城は落城、城主北条新三郎綱重は討死、この戦いで、社殿及び山部赤人翁の神像、伝記、宝物等焼失した。
寛永11年(1634年)焼失65年後、再建昭和35年(1960年)現在地社殿再建
神事 夏祭り 茅の輪くぐり 湯立て神事
秋祭り 御神輿渡御行列
元旦祭 初詣

 
 
街道へ戻るとすぐに石碑が立っていて、路地に入ってみると古地図にも描かれている真宗の「法流山 長栄寺」。
 
〇長栄寺
 
長栄寺に隣接している寺は日蓮宗の「道場山 妙隆寺」。
 
〇妙隆寺

蒲原宿は寺と神社が所せましと続いている。
 

今回は「蒲原宿」の「西町」周辺を巡った。

 

次回は「柵町」「本町」「天王町」といった「蒲原宿」の核心部に入る。

 

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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