「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。
***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。
https://stroly.com/users/9756472369/
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上の古地図のリンクを開いて、今回から「由比宿編」を選択して散歩する。
前回は「由比宿」に入り、「西町」周辺を巡った。
今回は「由比宿」の「本町」「中町」「新町」を巡る。
前回は「脇本陣」で終わった。
明治の郵便局舎と由比正雪の生家?とされる紺屋との間に脇本陣の跡がある。
脇本陣の向かいが本陣。
馬の水呑み場
幅1m、東西20mの水路状の濠は馬の水飲み場といって、むかし大名行列の馬に水を呑ませたり、身体を洗ったりした。
幅1m、東西20mの水路状の濠は馬の水飲み場といって、むかし大名行列の馬に水を呑ませたり、身体を洗ったりした。
水深は、60cmあった。
由比宿の本陣跡で屋敷の広さは約1300坪もあり、そのまま今日に伝えられた。
大名等が休泊した母屋は、表門を入った正面にあったが、明治初年に解体された。
向かって左手奥の日本建築は、明治天皇がご小休された離れ館を復元したもので、記念館「御幸亭」。
大名等が休泊した母屋は、表門を入った正面にあったが、明治初年に解体された。
向かって左手奥の日本建築は、明治天皇がご小休された離れ館を復元したもので、記念館「御幸亭」。
付属の庭園は「松榧園」といい、山岡鉄舟が命名した。
右手奥の洋館は広重美術館で、もとこの位置には土蔵が立ち並んでいた。
本陣公園には「御幸亭」が復元されている。
右手奥の洋館は広重美術館で、もとこの位置には土蔵が立ち並んでいた。
本陣公園には「御幸亭」が復元されている。
明治天皇もご小休されたので記念館「御幸亭」と命名した。
旧建物は老朽化により復元し、付設の茶屋は「結仁齋」と名付けた。
南側の池泉回遊式庭園は「松榧園」といい、由来は家康公お手植えの松 馬つなぎの榧があることから山岡鉄舟が命名した。
南側の池泉回遊式庭園は「松榧園」といい、由来は家康公お手植えの松 馬つなぎの榧があることから山岡鉄舟が命名した。
北側の枯山水の築庭は、小堀遠州作といわれている。
〇東海道広重美術館
本陣前にある紺屋。由比正雪ゆかりの家だ。
由比正雪の生家は葵区宮ケ崎にあったともいわれている。
表に蔀戸を残すこの紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より400年近く続くといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができる。
慶安事件で有名な由比正雪は、この紺屋の生まれといわれているところから、正雪紺屋の屋号がつけられている。
「紺屋」の向かいの路地を入ると「広重美術館」のすぐ裏に寺がある。
〇大法寺
由比正雪の生家は葵区宮ケ崎にあったともいわれている。
表に蔀戸を残すこの紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より400年近く続くといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができる。
慶安事件で有名な由比正雪は、この紺屋の生まれといわれているところから、正雪紺屋の屋号がつけられている。
「紺屋」の向かいの路地を入ると「広重美術館」のすぐ裏に寺がある。
〇大法寺
こんもりとした木に包まれている。入口の看板を読む。(概略)
<八幡山 大法寺 臨済宗妙心寺派>
寺伝によれば1585年由比助四郎光教の子光広の妻によって開創された。
開山は堅翁宗固和尚、本尊は如意輪観世音菩薩。
駿河一国33観音の25番札所
駿河・伊豆両国33観音の横道22番札所
大法寺の東側に古地図にも描かれている「飯田八幡宮」へ向う参道がある。
鳥居脇の看板を読む。(概略)
御祭神 誉田別命(應神天皇)
相殿 山八幡大神
由比氏により1585年建立
その後下地景、矢崎、節井の八幡社が合併され更に明治4年今宿八幡平の山八幡社がここに遷座され五社八幡宮となる。
創建は768年といわれ御神体の僧形八幡像は大永8歳由比出羽守光帳の子内膳大宅光教寄進の墨書がある。
1713年火災のため社殿と古記録を焼失。
御祭神 誉田別命(應神天皇)
相殿 山八幡大神
由比氏により1585年建立
その後下地景、矢崎、節井の八幡社が合併され更に明治4年今宿八幡平の山八幡社がここに遷座され五社八幡宮となる。
創建は768年といわれ御神体の僧形八幡像は大永8歳由比出羽守光帳の子内膳大宅光教寄進の墨書がある。
1713年火災のため社殿と古記録を焼失。
本陣の周辺は伝統を感じさせる建物も多い。
〇由比宿の建物
この家は、現存していないかもしれない。
本陣から300mほど進むと左側の家の脇に「一里塚」の碑が立っていた。
「一里塚」の周辺は現在10年前とは碑の位置や景色も様変わりしているようだ。
看板を読む。
由比の新町の一里塚は江戸から39番目で松が植えられていたが、寛文年間(1661-71)山側の松が枯れたので、良用軒清心という僧がここに十王堂を建立し、延命寺境外堂とした。
十王堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、祀られていた閻魔像は延命寺本堂に移されている。
由比の新町の一里塚は江戸から39番目で松が植えられていたが、寛文年間(1661-71)山側の松が枯れたので、良用軒清心という僧がここに十王堂を建立し、延命寺境外堂とした。
十王堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、祀られていた閻魔像は延命寺本堂に移されている。
一里塚を過ぎると由比宿も終わる。
「神沢川」を渡る橋を過ぎると蒲原地区に入る。
この先、旧国道1号線(県道391)と合流する。
東名高速道路の高架をくぐって「蒲原宿」へと向かう。
今回は「由比宿」の「本町」「中町」「新町」を巡った。
次回は「蒲原宿」へ入る。
*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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