駿河の国をwebで歩く(72)「由比宿その1」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて、「由比宿編」を選択して散歩する。
 

 

前回は「今宿」と「町屋原」を散歩した。

 

今回は「由比宿」へ入る。
 

由比川にかかる橋を渡ると由比宿になる。
 
〇由比川橋


橋を渡って100mほどの路地を北へ入ると古地図にも描かれている「延命寺」の山門が見える。

〇延命寺

山門脇に寺の説明が書かれている。
当寺の本堂内に3点の町指定文化財の仏像あり拝観料無料。
玄関で申込をして下さい。御朱印もあります。延命寺住職


〇延命寺の本堂。

<松石山延命寺(浄土宗)>
1579年、由比本陣職岩辺郷右衛門と加宿問屋職由比太郎左衛門の開基、良公上人の開山とされる。
伝承によると、昔この地に真言宗の東方寺があり、その伽藍の中の延命地蔵堂を改修したのが始まりといわれる。
本堂に祀られている町指定文化財の延命地蔵菩薩立像は、総高220cmの大型の寄木造の仏像で、円頂・彫眼・白豪相をあらわし、納衣は通肩にかけ、左手に宝珠、右手に錫丈を持ち、両足を揃えて直立する。
後世の着色のため正確な製作年代は不詳だが1689年、由比本陣職岩辺郷右衛門による修理銘の木札が胎内にある。



街道に戻ると木板の壁の建物が立っている。
 
〇和紙錦織の館


錦織の館の脇の路地を北へ入ると寺の山門が見える。
古地図にも「延命寺」の東隣りに「正法寺」が描かれている。
 
〇正法寺
正法寺だ。
しょうぼうじと読む。

〇正法寺の本堂。

<光栄山 正法寺(日蓮宗)> 
太平洋戦争で供出された梵鐘に1317年、浄円の草創であるとの銘記がある。
浄円は由比郷初代の領主「由比大五郎光高」の孫といわれ、現在の由比本陣、正法寺の位置に居館を構え、近郷を統治していた。
本堂別座の霊鷲山曼陀羅は、文化4年、京都の仏師林如水作で、霊鷲山型の懸崖に、仏菩薩像が宝塔を囲んで配置され、なかでも小像の大黒天、愛染明王の台座にネズミ、竜の極小彫刻が嵌めこまれている作品。
参道の題目塔は、1362年建立のもので、町内最古の石碑である。

 

街道へ戻った所におもしろ宿場館があり、横に明治の郵便局舎がある。
 
〇郵便局舎

江戸時代、文書の送達は飛脚便によって行われ、由比宿では現在の由比薬局の位置で朝日麟一氏によってその業が行われ、飛脚屋と呼ばれていた。
明治4年3月、郵便制度の創設により、飛脚屋は由比郵便取扱役所となり、さらに明治8年1月由比郵便局と改称された。
明治39年5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、明治41年1月より郵便局を移転した。
この局舎は昭和2年まで使用され、現在は平野氏宅となっている。
 
 
明治の郵便局舎の隣が脇本陣だった。
 
〇脇本陣

説明書きを読む。(概略)
由比宿には脇本陣を交代でつとめた家が3軒あった。
徳田屋に代わって1793年幕府に脇本陣を願い出た羽根ノ屋が務めた。
羽根ノ屋は、江尻宿脇本陣羽根ノ屋の分家。
 
古地図には「延命寺」の参道入口に脇本陣が描かれている。
説明書きにも書かれていたように脇本陣が時代によって変わっていたことがうかがわれる。
 

今回は「由比宿」に入って古地図で「西町」と呼ばれていた辺りを巡った。

 

次回は「由比宿」の「本町」「中町」「新町」と巡る。

 

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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