駿河の国をwebで歩く(63)「江尻宿・袖師村」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「興津宿編」を選択して散歩する。
 

今回は「興津宿・嶺村」へ入る。
 
 

前回は「江尻宿」の「辻村」「西久保」周辺を巡った。

 

古地図の「江尻宿編」の東端が「嶺村」で「興津宿編」に続く。

 


庵原郡西久保村、嶺村、横砂村が明治の初めに袖師村が成立したので江戸時代には「袖師村」は無かった。

 

 

古地図「興津宿編」を「嶺村」から東に向かう。

 

東海道の北の方に「西久保村」の東端にある「龍雲院」が描かれている。

 

「龍雲院」から100mほど東に向かうと「県道338号 嶺神明通り」があり、渡ると神明山古墳がある。

自然丘陵を利用した古墳で古地図にも描かれている「神明神社」が祀られている。

 

〇神明神社

鳥居の脇に説明書き石碑があったので読む。
神明山古墳は前方後円墳で紀元5世紀末の豪族の古墳。
「いほはら乃国」の主権者の円立の表面を丸石で敷きつめたものであった。
その後次々と支配者が葬られ、神明東築山古墳、神明神社本殿前古墳、神明神社西古墳となった。

 

神明神社の裏へ回ると古墳の雰囲気が残る。
 

〇神明山古墳

 

神明山古墳の石室が保存されている。

 

〇石室

 

 

 

古地図を見ると「神明」と書かれた鳥居が2ヶ所描かれていて、その先に「曾我伊予守 陣屋」が描かれている。

この嶺村は幕末まで、だった。

 

この辺りは嶺村と呼ばれ、江戸時代には陣屋があり旗本曽我伊予守の領地だった。

 

 

神明神社から東へ200mほどの交差点を北に入ってすぐの東へ向う路地を入ると民家の駐車場の奥に上嶺の陣屋の井戸が遺されている。

〇陣屋井戸

2

陣屋井戸は民家の敷地の中に柵で囲まれて存在する。
事故の無いように頑丈に造られている。

 

陣屋井戸の裏側の道路脇に祠があってがお地蔵さんが祀られている。

 

〇お地蔵さん


「袖師ふるさとの路」「27」「子授け地蔵」と書かれた看板が掛けられていた。
 

 

陣屋井戸の100m南の民家の塀にも看板が掛かっている。
 

〇「権現井戸跡」

家康ゆかりの鉱泉として最近まで湯屋が営業されていたが今は民家となっている。
説明を読む。(概略)

冷泉で疫病に効果があった。専ら傷病兵の治療に使用した。

権現井戸と称え、昔から湯屋が営まれてきた.

嶺陣屋跡は、今は畑地になっている。嶺村領主曽我伊予守の嶺役所であった。

 

 

「県道338号 嶺神明通り」へ戻り、東海道方向へ進み新幹線ガードを抜けると右に寺がある。

 

〇真如寺

古地図にも描かれている曹洞宗「嶺水山 真如寺」

 

〇真如寺の本堂

 

 

真如寺から200mほど南に袖師小学校がある。
 

〇正門の脇に松が「嶺陣屋の松」がある。

 


「嶺陣屋」裏門にあった松を移植したとのこと。
 

旧東海道へ戻って旧袖師村を東に進む。

 

「嶺村」の旧東海道は江戸時代の面影を見る施設は見当たらない。
古地図でも街道沿いには描かれた施設はない。

 

 

今回は江尻宿の木戸を出たあたりの「嶺村」周辺を巡った。

 

 

次回は、「江尻宿・横砂村」へ進む。

 

 

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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