駿河の国をwebで歩く(51)「府中・中吉田村、谷田村」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「府中宿」を選択して散歩する。
 
 
前回は「府中宿」の「栗原村」「一色村」「国吉田村」を巡った。

 

今回は「中吉田村」「谷田村」の周辺を巡る。

 

旧東海道は「栗原村」で一旦途切れた。

 

主に南幹線と呼ばれる4車線道路の整備によって旧東海道が中断している。

南幹線より一本南側の道が旧東海道だったと思われる古くからある道。

 

「中吉田」は隣接する「国吉田」とともに、有度山から流れる吉田川の流域であったことから名が付いたようだ。

 

〇旧東海道(中吉田)

 

古地図を見ても栄えていることがわかるように、このあたりは府中宿と江尻宿の中間、「間の宿」だった。
間の宿は、宿泊は禁じられていて食事をとったりする休憩所だ。

古地図の「中吉田村」には「牛頭天王」が描かれている。

 

〇中吉田津嶋神社

「津島神社」の本社は「津島牛頭天王社」と称しているので古地図に描かれていた神社だろう。

 

 

「津島神社」を100m北側に行くと古地図に描かれている「普済寺」がある。

 

〇曹洞宗の「應縁山 普済寺」という。

 

古地図の「普済寺」から北へ目を向けると、距離感と方向が変だが「鳥坂村」が描かれている。

そこには梶原山や龍爪山の麓に大内の「霊山寺」や長崎の「教福寺」も描かれている。

「鯨ケ池」というのもあって、古地図を編集した時の苦労とユニークさが偲ばれる。

 

次に旧東海道から南へ目を向けて「吉田川」を遡って上流へ。

チョット寄り道。

 

2kmほど民家の少ない田舎道を進むと「平沢」という集落がある。

 

この集落には真言宗智山派「布袋山 自在院 平沢寺」がある。
 

〇平沢寺本堂

 

急な階段を登った先に観音堂が建っている。

 

〇観音堂

山門に書かれていた由緒を読む。(概略)

平沢寺(へいたくじ)は、行基上人が諸国行脚(710~713)の途中、この地に立寄り、地蔵尊を彫刻して草堂を建て安置したことに始まるという。

また、行基上人が再度訪れ7体の観世音像を刻み、最初の一体を当寺に、続いて順次、駿河国安倍郡の6つの寺に一体ずつ安置した。

この7体の観世音像の安置されているところが「安倍七観音の霊場」といわれている。
 

旧東海道へ戻る。

 

進むと「中吉田」は200mにも満たないで町名が変わる。

 

「中吉田」の次は清水区に入り「谷田」になる
 

古地図の「谷田村」のあった場所は、今では行政区画が別れて「清水区谷田」と「駿河区谷田」となっている。

 

同じ町名の「谷田」が入り組んでいてややこしい地域だ。

 

旧東海道を「清水区」に入るとすぐに古地図にも描かれている「東光寺」がある。

 

〇東光寺

旧東海道に面して達磨さんの立像が建っていて説明が書かれているので読む。(一部抜粋)

「葦葉達磨大師像」について
ダルマ様は、今から約1500年前、インドの香至国の王子として生まれた。
60歳で中国に渡り、少林寺で壁に向かって9年間座禅を続け「禅」を中国に広めた。

その教えが後に日本に伝わり、曹洞宗・臨済宗・黄檗宗となった。

 

古地図の「谷田村」には「東光寺」しか描かれていないが今の「谷田」は文化の中心地に発展している。

 

「静岡県立大学」を始め「県立図書館」「県立美術館」が建ち並び、50基以上の古墳も発掘されている。

 

〇谷田1号墳

説明書きを読む。(概略)

谷田1号墳は宮ノ後古墳ともいわれ、6世紀の後半に築造された。

全体では、50基以上にものぼる谷田古墳群の中のひとつ。
横穴式石室と呼ばれる石を積んだ室があり、直刀、須恵器(坏・堤瓶)土師器などの副葬品が出土した。

 

旧東海道に面して南側が「谷田」で北側が「中之郷」といった所を進む。

 

旧東海道は正面に富士が見えるように意識して通したと思われる場所が所々で見られる。

 

〇旧東海道(谷田・中之郷)と富士山

 

古地図の「中ノ郷村」に描かれている「法林寺」は今より北にあって、江戸時代に火災のため街道近くに移転したとのこと。

「曹洞宗 月光山 鳳林寺」と漢字を変えているが現存している。

 

〇「鳳林寺」

 

 

 

「鳳林寺」から南へ200mほど街道から外れ、坂を上ると古地図には描かれていないが「谷田瓢箪塚古墳」がある。

 

〇瓢箪塚古墳

前方後円墳が形よく残されている。説明書きを読む。(概略)

遺跡名称 西ノ原一号墳(前方後円墳)
大きさ 直径21.8m(円墳)、幅9.0m~11.5m(方墳)、全長40m
築造年は、6世紀初頭推定される。
この地方は盧原国(いをはらのくに)と云い、大和朝廷の勢力下に組入られた頃、日本武尊が草薙剣を振って土地の人々と戦った事が古事記、日本書記に記されている。

その後日本武尊に副将軍として従った吉備武彦の子孫、意加部彦(おかべひこ)がイオハラ国の国造(くにのみやつこ)となり、何代目かのイオハラの王の一人と推定されている。


旧東海道を進むと再び途切れてしまう。

 

〇旧東海道はこの先で途切れる。

 

 

次回は地図も「府中宿編」から「江尻宿編」に変えて現在の「清水区」へ入る。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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