駿河の国をwebで歩く(23)「宇津ノ谷峠」その2 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「丸子宿・宇津ノ谷峠」を選択して散歩する。
 
 
今回は「宇津ノ谷峠」の旧東海道周辺を巡る。

 

改めて国道1号線からスタート。

 

国道1号線を平成宇津ノ谷トンネル手前から立体交差で右に入る。

この県道208号を400mほど丸子川沿いに上ると旧東海道と分岐する。

 

前回、分岐点を県道208号方面へ直進して明治・大正トンネルに向かった。

 

分岐点を左に入る道が旧東海道。

 

〇分岐点にある観光案内看板。

看板に書かれた旧東海道の説明。
1590年に豊臣秀吉が小田原征伐のときに大軍を通すために開拓されたと言われている。

 

旧東海道方面へ入るとすぐに集落が並んでいる。

宇津ノ谷の住民たちが力を合わせて古風な町並みを作っている。

 

〇宇津ノ谷集落

 

この集落は「間の宿」と言われ、丸子宿と岡部宿の間の宿場。

 

宇津ノ谷は観光案内看板がいたるところに掲げてあり、観光客に優しい。

 

〇明治天皇御小休所跡の看板。

 

〇十団子の由来が書かれている。

十団子の由来を読む。
昔一人の旅僧がここ宇津ノ谷の里を通りかかると鬼が人間の姿にかえて出てきた。
旅僧が「お前は誰だ」と問ふと「祥白童子だが坊さんはどこからきた」と言う「お前を成仏させようと遠くからやってきた。すみやかに本体を現せ」と言うと彼はたちまち6mの鬼の姿に変身した。
「なるほどお前の通力は大したものだ。今度はできるだけ小さなものに化けてわしの掌に上ってみよ」と言えば小さな玉となって僧の手に上った。それを杖で砕くと10粒の小玉となったので僧は一口に呑みこんでしまった。それから後は鬼の災いはなくなった。
この旅僧は弘法大師が刻んだ地蔵菩薩で宇津ノ谷の慶竜寺にまつられており砕けた玉は十団子として売られている

 

〇秀吉公のお羽織の由来が書かれている。

御羽織屋の説明文を読む。
天正18年(1590)秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、宇津ノ谷(うつのや)に休息した。
その際、当家の祖先が馬の背を献上し、また戦陣の勝利を示すような縁起のよい話をしたので、帰りに立寄って与えたのが、当家所蔵のお羽織である。表は紙。裏は「カイキ」、後に家康もこの羽織を見て、記念に茶碗を与えたが、これも当家に所蔵されている。
            東海道宇津谷  石川家

 

 

御羽織屋の脇の路地を入ると慶龍寺。

慶龍寺では毎年8月23・24日の両日催される縁日の際に、「十団子」が売られている。

 

〇慶龍寺


「宇津山 慶龍寺」は1578年 歓昌院第4世宗旭和尚が開いた曹洞宗の寺。

鎮守として延命地蔵(弘法大師作)が祀られており、本尊は十一面観世音菩薩。

かつて峠にあった地蔵堂に祀られていた「延命地蔵尊」が今はここにある。

 

慶龍寺前の丸子川を川沿いに上がると「諏訪神社」がある。

 

〇諏訪神社

 

古地図に「慶龍寺」は描かれているが「諏訪神社」は無く、代わりに「大井大明神」が描かれている。

祀っている神が変わったのか、もともと別の場所にあった神社なのか疑問が残る。

 

気を取り直して、旧東海道街道に戻り集落を進む。

 

〇宇津ノ谷の集落が途切れる所から振り返る

 

ここから旧東海道はつづれ折れの道になり「明治トンネル」へ向かう道と交差して徒歩で登ると展望広場がある。

 

〇展望広場から宇津ノ谷の集落を一望できる。

 

宇津ノ谷の集落は200m程度の小さな集落なので一望できた。

 

現在では登山道のようになっている旧東海道を峠に向かう。

 

古地図を見ると街道として整備されていたようだが、現在は鬱蒼とした山道になっている。

しばらく進むと石垣で組まれた地蔵堂跡がある。

 

〇地蔵堂跡

〇地蔵堂跡

 

 

 

〇宇津ノ谷峠のピーク

 

峠を越えて少し下ると農道(?)へ出る。

 

〇岡部側の登り口

 

岡部側の旧東海道登り口は手すりの柵で守られた登山道のように狭い。

 

ここを少し下ると明治トンネルへ通じる道と出会って戻れるが、その途中に南(左)に折れる道があり、そちらが江戸時代の東海道。

 

〇旧東海道への分岐

 

〇旧東海道はこんなひと気の少ない道。坂を下ると岡部の坂下方面向かう。

 

宇津ノ谷峠は、古地図を見ると宇津ノ谷側の「峠地蔵」と岡部側の「坂下地蔵」が描かれていて、旅人たちは手を合わせて峠越えをしていたんだろう。

 

〇坂下地蔵堂

坂下地蔵は「鼻取地蔵」とも呼ばれている。

昔、農夫が仕事帰りに牛が動かなくなり困っていたら、どこからともなく子供が現れ、牛の鼻を引いて助けてくれた。その子供がお地蔵様の化身だったと伝えられている。
 

 

国道1号線の「宇津ノ谷トンネル」手前の「道の駅」から、出口の「坂下地蔵堂」までの1km弱の行程を古地図を見ながら巡ってみた。

江戸時代の頃から宇津ノ谷峠ではいろいろな物語やエピソードが数えきれないほど繰り広げてきたことがうかがえた。

 

今回はその一部を簡単なコメントで紹介出来ただけだったが、時間をかけて巡ってみたいと思わせてくれた。

 

 
次回は「宇津ノ谷峠」の続きで「つたの細道」周辺を巡る。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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