駿河の国をwebで歩く(18)「丸子路 その4」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「丸子宿」を選択して散歩する。
 
前回は丸子宿の「丁子屋」でとろろ汁を食べたところで終了した。
 
今回は「丁子屋」の周辺を巡ってみます。

 
とろろ汁で有名な「丁子屋」周辺には色々な謂れが書かれた看板が多く見られる。
 
〇丸子川の碑
50年近く前に起きた「たなばた豪雨」の災害復旧記念碑。
隣の岩には丸子川を詠った幽斎の歌が彫られている。
岩の裏に謂われが書かれている。

〇細川幽斉の説明

看板を読んでみる。
安土桃山時代の文武両道に卓越した大名歌人で、近世和歌の祖とも称えられ「古今伝授」を授けられた。
信長秀吉家康にも重臣として処遇され丹後田辺城主となった。
1590年3月8日、秀吉の小田原征伐の先陣として、うつの山路を越え「まりこ川と人のいふをきゝて」と詠み駿府に入った。


〇一松園。

とろろ汁は「丁子屋」が有名だが「一松園」も歴史があるらしい。
こちらを好んで通う人もいる。
栄屋とだけ読める碑が立っているが謂われは書かれていなかった。
 
〇馬頭供養塔

一松園の前に碑と祠がある。
 
〇いざり地蔵の看板

いざり地蔵さんは丁子屋と一松園の間にある路地を入り公民館前にある祠に祀られている。
 
丸子橋を渡る前に江戸時代の繁栄ぶりを感じることが出来る多くの痕跡を見ることが出来た。

〇現在の丸子橋は丁子屋の前にかかっている。
 
古地図を見てみると丸子宿の西端に東海道の丸子橋がかかっている。
 
当時の丸子橋と丸子川の状況は定かでないが、現在と同じだったとしたら丁子屋のある場所には廃寺になった長栄寺があったということになる。
「金谷山長栄寺」という曹洞宗の寺は明治の初めに廃寺される際、跡地に「閻魔堂」が建てられた。
その「閻魔堂」には「閻魔像」や「いざり地蔵尊」が祀られていたが昭和40年頃に公民館に建て替えられた際「いざり地蔵尊」だけがこの地に残った。
 
「丁子屋」の創業が1596年という事なので、古地図の描かれた時代の店の場所は、今と違っていたのかもしれない。
 
東海道五十三次の浮世絵や東海道中膝栗毛は1800年ころの作品なので、この古地図からかなり後の作品になる。
 
 
丸子橋を渡って丸子路を進む。
 
丸子橋を渡るとすぐ右に高札場跡と書かれた立て看板がある。
 
〇丸子高札場跡

古地図では高札場が丸子橋の東側にあったので、時代によって位置が変わっていたかもしれない。
内容を読んでみます。
<天和(てんな)の高札> 丸子の文化財
江戸時代の東海道丸子宿に建てられていたと思われる高札が昭和56年頃に丸子戸斗の谷の津島神社から発見されました。
天和2年(西暦1682年)今から320余年前徳川5代将軍綱吉が諸国の高札を建て替えた時のものと推定されています。
実物は縦58cm長さ258cm厚さ82cmの杉材でこれほど大形なものは県下でも珍しく静岡市の文化財の指定されています。この丸子の貴重な文化財をレプリカで紹介し、その昔の丸子宿の面影を残したいと願うものです。
高札3枚(忠孝奨励諸法度・宿駅諸法度・毒薬にせ金禁制)
なお現物は戸斗の谷町内会が保存している。

<定・忠孝奨励御法度>
1.忠義や孝行を奨励し夫婦兄弟諸親類は睦まじく召使の者にも情愛を加える事、若し不忠義不孝する者あらば重罪とする
1.何事にも贅沢をしてはいけない住家・衣服飲食等まで倹約を守る事
1.悪心をもって偽り又は無理な言いがかり又は自分の欲のために人に害になる事はするなすべて家業のために励む事
1.盗賊悪党は奉行所へ訴え出ること、その時ご褒美をくださる事
 附 博打は堅く禁止する事
1.喧嘩口論は停止する。自然(万一)喧嘩があってもその場へみだりに出向かず、又手負(けが人)たる者を隠し置かない事
1.死罪の族これ有る時は呼び出される者以外は集まってはいけない。
1.人身売買堅く停止せしむ並びに年季奉公に召使下人を雇うときは男女共に十年とする事その定年数を通れば重罪とする。
 附、譜代の家人又はその所に往来する者は他所へ相越し在付、妻子をも所持せしむ、其の上、科なき者を呼び返さない事
  右の条々相守るべきこと、若し違反する者には厳しく処分するので申し出るもの也
  下知くだんのごとき
  天和二年五月        奉行

<定・宿駅諸法度>
1.御朱印、御伝馬人足の員数は御書付の外多く出すべからず事
1.御伝馬並びに駄賃の荷物は1駄について40貫目人足の荷物は1人について5貫目の限事
1.丸子より府中までの駄賃銭は1駄について47文乗懸荷物は人と共に同前、荷物なくて乗るは31文、人足賃は1人にて24文
1.岡部へ47文荷なしに相乗りは51文人足賃は41文ただし夜どおし急ぎ相通る輩は荷物なしに乗るといえども夜の分は1駄を積んだと同じ駄賃銭を取るべき事
 以下略

<條々・毒薬にせ金禁制>
1.毒薬並びににせ薬種は堅く禁制なり
  若し商売する者には罪科とする
  たとへ同類といえども訴え出る物には御褒美をくだされる事
1.にせ金銀の売買は一切停止すべし
  自然持ち来るは両替屋において打ちつぶしてその主に返すべきなり
  並びに外しに金銀は金座銀座で改めるべき事
 附 にせ物すべからざる事
1.寛永の新銭は金子1両につき4貫目もちろん歩には1貫目御料私領共に年貢収納等にも御定の員数たるべき事
 以下略


丸子橋を戻り丸子川に沿って上ると国道1号線に出る。
バイパスとのインターになっていて、国道から北へ入ってすぐの二股に分かれる場所に津島神社と書かれた小さな社が建っている。
 
〇津島神社
古地図を見てもこの辺りには津島神社が描かれていないので他所から遷されてきたのかもしれない。
 
古地図には稲荷神社は描かれている。
 
津島神社の左側の道を進むとすぐに稲荷神社の元宮がある。
〇丸子稲荷神社元宮
静岡市から発行された「こども生涯学習体験ガイドマップ」に次のように紹介されている。
937年、京都伏見稲荷大社の御分霊を丸子の氏神様として鎮祭した。それから千余年、東海道の名社として領主、諸大名を始め、一般庶民の信仰も篤く、五穀豊穣、厄除け、商売繁盛の神として崇敬されてきた。
1978年、静清バイパス建設のため、現在の地に移転改築された。元の地には元宮があり、更に1987年、奥宮が建立され、三ヶ所に祭られている。


〇丸子稲荷神社

新旧の社が佇んでいる。
 
〇丸子稲荷神社遷宮

バイパスの下をくぐって匠宿の駐車場脇を抜けると稲荷神社の新しい社がある。
バイパスの建設に併せて稲荷神社が遷された。
 
 
津島神社まで戻り、右側の道を進むと直ぐに「駿府匠宿」がある。
 
〇駿府匠宿
伝統工芸の体験や土産物などを売ったりしている公共施設。
 
静岡は今川や徳川が駿府築造のため職人を集めた歴史があって、伝統工芸が盛んな土地柄なのだ。
静岡市から発行された「こども生涯学習体験ガイドマップ」に次のように紹介されている。
静岡市の伝統産業と歴史をテーマに、「創る、遊ぶ、学ぶ、触れる、観る、味わう」という生活文化を幅広い年齢層が体験できる施設。
各種工芸の創作体験や、250インチの大型スクリーンと38台の小型画面の組み合わせによる参加型体験シアター「たく丸劇場」、遊び心が交流する空間「おもしろ体験館」な

 
次回は「駿府匠宿」がある「丸子泉ケ谷」を巡ってみる。
 

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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