「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。
***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。
https://stroly.com/users/9756472369/
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前回は新通りへ向かうつもりだったけど本通り方面の寺を探索して終わってしまった。
今回は「新通1丁目」から安倍川方面へ歩を進める。
江戸時代の新通りとは?
新通1丁目は旅籠町、2丁目は新通大工町・新大工町、3・4丁目は馬喰(ばくろ)町、5・6丁目は笠屋町、7丁目は新通大鋸町とも称された。
現在の新通りに入るとすぐのところにうなぎ屋がある。
あなご屋はウナギを食べさせてくれる料亭。
江戸時代の文久2年から営業していた料亭で、以前は能舞台もあって格調がある建物だったが今では改築して、外観は普通の飲食店になっている。
新通りをさらに200m進むと「わさび屋」がある。
〇田尻屋わさび店
田尻屋はわさび漬の元祖で、徳川9代将軍家重の時代から250年を数える老舗という。
駿府城中堀を探索した時に「駿府城わさびの碑」の脇の説明書きをメモしてあった。
わさびは370年前わが国で始めて安倍川上流有東木で栽培された。わさび漬は今から200余年前駿府のわさび商人によって初めて考案され幾多の人に受け継がれて改良進歩した。
田尻屋を過ぎて二つ目の信号を右に曲がって、また少し寄り道をしちゃいます。
100m足らずで本通りへ出る。
本通りを渡って「お仏壇のやまき」から20mほど安倍川方面に行くと道路脇の植え込みに一里塚の碑が建っている。内容を読んでみます(抜粋)。
一里塚は、江戸時代、1里(約4キロ)ごとに直径7~8メートルの土饅頭を盛り旅人の目印にした。
慶長9年に一里塚を設けたが、現在では大部分の一里塚が破壊され、残っているものは少ない。
本通の一里塚はその位置を変え、ここに移動してきたものである。
〇一里塚の碑がある本通8丁目から近い本通9丁目に「浄元寺」がある。
古地図にも「浄元寺」の名があって「一り塚」と書かれているのを見ることが出来る。
沿革が書かれているので読んでみる。(抜粋)
創立 慶長九年(1604年)本師国州天越大和尚を請して開山となす。
家康公、和尚に深く帰依し交友頻りなる中、本通九丁目、東海道53次の一里塚の地に一宇を建立して和尚の隠居所となし「一里山浄元寺」と号した。後に「万吉山」と山号を改称す。
1604年、本通りに一里塚が整備され、5年後の1609年、駿府城下の町割りが行われた際、東海道は本通りから新通りへ移ったという事らしい。
その後、新通りに一里塚が移転したという話は聞かないのでそのまま本通りの「浄元寺」に一里塚はあったのだろう。
今回も「新通り」から離れて寄り道をしてしまったので次回も「新通り」の続きを探索します。
「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>
*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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