駿河の国をwebで歩く(8)「新通」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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東海道はかつての寺町に入る手前で七間町を人宿町方面へ右に曲がり、さらに200mほどで梅屋町の交差点を左折して安倍川方面へと進む。

 

駿府城へは直進させないように街道をクランク状に曲げてあるのだろうか?

 

東海道は梅屋町を南西に100mほどで寺町の通り(現駿河町通り)と交差し、これから先が「新通り1丁目」

 

 新通という町名は、慶長14年駿府城下の町割りの際、従来の東海道筋であった本通り筋に対し新たに道幅5間の新通りが設けられ東海道となったことに由来する。
 1丁目は旅籠町、2丁目は新通大工町・新大工町、3・4丁目は馬喰(ばくろ)町、5・6丁目は笠屋町、7丁目は大鋸(おおが)町とも称された。

 

古地図を見ると東海道が新通りへ入る所で交差する道は左が寺町2丁目、右が寺町1丁目。

さらに本通りを越えると西寺町へと入る。

 

寺町は七間町の時にも書いたが、家康がこの地に寺を集めたのが始まり。

寺は静岡大火と静岡空襲でほとんどが焼失し、区画整理も行われ、寺の多くは沓谷の愛宕霊園周辺を始めとした市内各所へ移転した。

 

古地図にある西寺町のあたりには今でも当時と同じ名前の寺を見つけることが出来る。

 

〇大鋸町・西福寺


松平山西福寺という浄土宗の寺。家康の家臣が開山したとのこと。

 

〇大鋸町・玄忠寺

入口の脇に「下駄久の碑」と書かれた碑が立っていた。

 

〇本通六丁目・長善寺


梅屋勘兵衛の墓がある。

梅屋町のいわれの元となる人物で由比正雪の自害した梅屋の主人。

この寺の設立者らしい。

 

〇本通7 弘願寺 

六十六部供養塔と馬頭観音の碑が建っている。

 

[本通七丁目・浄国寺]


通車公園の向かいに永禄元年の創立と言う浄国寺がある。
浄国寺境内に縛り地蔵がある。祈願する者はお地蔵様を縄でしばり、祈願がかなうとその縄を解くのだそうだ。

 

今回は「新通り」を街道歩きするつもりだったが、入る手前で「本通り」方面へ寄り道して寺を探索した。

 

次回は「新通り」の街道歩きをしてみます。

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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