こんにちは、お久しぶりですね。ラヒームです。皆さん、中国史といえば何を思い浮かべますか。最近はキングダムなどの漫画の影響で、三国志や春秋戦国時代に興味を持っている人が増えていますね。中でも一際注目を集めているのは、司馬遼太郎が小説を書いた楚漢戦争かもしれませんね。そこで今回を含むこれからは楚漢戦争とはどのような戦争だったのか、改めて見ていきましょう。
楚漢戦争と聞くと、皆さんの多くは項羽と劉邦を頭で思い浮かべると思います。しかし、彼らがこの時代においてどのような役割を果たしたのか、100パーセント分かっている人は少ないと思います。実は、彼らは中国を従来の封建社会から中央集権体制に変えるのに多大な役割を果たし、現代の中国を形作った人物だったのです。さっそくこれについて見ていきましょう。
当時の中国は、キングダムで有名な秦の始皇帝が支配していました。彼は分裂していた中華を統一し、史上初の中国統一を成し遂げました。しかし、彼の統治にはどこか苛烈な所があり、始皇帝が死ぬと反乱が起きます。反乱の首謀者が陳勝という名の百姓であったことから、これを陳勝呉広の乱と呼びます。陳勝は秦王朝の打倒を宣言しましたが、これをチャンスと思った秦に倒された国の王族たちが次々と陳勝に帰属し、独立を宣言します。やがて陳勝は打倒されますが、中国は再び分裂状態に陥り、各地に王族が割拠することになります。
その中で台頭してきたのが楚の国です。この国は秦に滅ぼされた国の一つであり、当時名高かった楚の元将軍・項梁が決起して作られました。彼は楚の王族の一人(懐王)を秦王朝しか名乗れない帝に据え、諸侯を一つに纏めました。しかし、ここで項梁が秦との戦いで戦死してしまいます。懐王は名目上は国にトップでしたが、実情は項梁のマリオネットであったため、これを好機に実権を自身の元に取り戻しである咸陽に向けて進軍を開始させます。ここで登場するのが項羽です。彼は項梁の甥であり、懐王は項羽と劉邦に、先に首都を落とした方に領土を授けることを確約します。叔父を見殺しにされた項羽は内心嫌気がさしていましたが、領土を手に入れて覇権を握ることを画策し提案に乗りました。こうして項羽と劉邦が対立するきっかけが作られていくことになります。
如何でしたか。皆さんは楚漢戦争の原因を詳しく見ていくことができて、ウキウキかもしれません。次回からは、咸陽攻略戦の意外な結末と二人の全面的な対決について見ていきましょう。是非お楽しみを。