ブログ
こんにちは、ラヒームです。さて、最近僕のチャンネルでは普通の歴史解説の再生数がボロボロなため、今回は今までとは一味違う歴史解説をしたいと思います。その名も、サッカーの歴史です。
これをすることによりサッカーファンの受けを狙う、という目的ももちろんありますが、それよりも私がこのブログを書くきっかけとなったのは、ワールドカップも近づく中皆さんにサッカーの歴史や面白さを伝えたい、という思いでした。最近はW杯の話題や日本人選手の海外での活躍もあり、サッカーがニュースで取り上げられることが増えていますね。こんな時でこそ、サッカーの知識を蓄えていくことは世間で役に立つと思います。
皆さんは、サッカーの名門チームといったらどのクラブを想像しますか?大半の皆さんは海外、多くはヨーロッパの名門を思い浮かべると思います。ミランやマンチェスターユナイテッド、リヴァプールなど様々なクラブがありますが、その中でも意見がダントツで多いのはスペインのレアルマドリードとバルセロナだとおもいます。この二つのクラブは同じ国にあり、国内リーグ制覇、欧州トーナメント制覇数において大半のクラブを圧倒していますが、すこぶる仲が悪いですね。2つのクラブが対戦するときはエルクラシコと呼ばれ世界中が熱狂しますが、皆さんはなぜこの2クラブがこんなに仲が悪いのか疑問に思ったことはないでしょうか?そこで、今回はこの二クラブのライバル関係の歴史的背景について見ていきたいとおもいます。
それでは本題に入りましょう。両者が誕生したのは、共に19世紀末、イギリスからサッカーの文化が渡来した頃に誕生しました。サッカーの文化が急速に広がる中、双方共に新しく作られたスペインのサッカー連盟に加盟します。このように、両者は同じ道を歩んできましたが、1920年代は双方の運命を分ける時代となります。当時スペインリーグを数多く制覇してきたレアルマドリードは政府や国王から気に入られ、「国王の信」を意味するレアルを称号として与えられます。一方バルセロナは、当時スペイン人に圧迫されていたカタルーニャ人が作ったクラブであったため、政府からは冷遇されます。これは、バルセロナに反政府、反レアルマドリードの感情を生むことになり、最初の亀裂を作ることになります。しかし、1930年代にはこの亀裂がより深まる出来事が起こってしまいます。
その出来事は、スペイン内戦の勃発です。スペイン内戦は1936年に起きた社会主義の新政府とこれに反発する全体主義的なフランコ将軍率いる反乱軍の戦争であり、スペイン全土がこの内乱に巻き込まれました。当初から保守的、親国王的な考えがあったレアルマドリードはこの内戦でフランコ将軍の味方となります。一方、バルセロナは元々中央から冷遇されていたので、社会主義、差別反対を訴える新政府は魅力的でした。そのため、彼らは社会主義政府の味方をし、双方のクラブが真逆の信念を掲げるきっかけとなりました。
結局この内戦はファシストの反乱軍が勝ち、スペインは保守的で権威主義的な統治がなされることになります。フランコ将軍の政府は中央のスペイン人中心の統治をし、異民族であるカタルーニャ人は言語や習慣を禁止されました。そのため、「カタルーニャの象徴」とされ、社会主義に親和的なバルセロナも弾圧の対象となり、当時フランコ政権に反発していたクラブの会長が暗殺されたりもしました。一方、保守的で中央主義の象徴として君臨していたレアルマドリードは政府から優遇され、フランコ政権下の1950年代はレアルマドリードが国内リーグを独占することになります。このバルセロナとレアルマドリードの待遇の違いが両者の対立を決定付け、保守・中央のレアルマドリードとリベラル・反権力のバルセロナ、という構図が出来上がりました。彼らの試合はエルクラシコ(王者同士の対戦)と呼ばれる様になり、単なるスポーツのみの対立ではなくスペインの政治・民族・イデオロギーの争いにまで発展しました。こうして今の両者の対立が出来上がったのです。
如何だったでしょうか。レアルマドリードとバルセロナの対立を知ることは、サッカーを見ることをより面白くし、ひいてはスポーツと歴史の強い関連についてまで知れます。このブログがあなたのサッカーへの興味をそそらせたら幸いです