こんにちは、底辺ブロガーラヒームです。今回からは、今までとは少し違い、歴史的に重大な影響を及ぼした事件を解説するシリーズを初めたいと思います。栄えある第一回のテーマに輝いたのは........1453年のコンスタンティノープル陥落と東ローマ帝国の滅亡です!

 

なんじゃそれ、と感じる方も多いと思いますが、それよりも前に皆さん一度、我々の家にある電化製品を思い浮かべてください。ケトルや電子レンジ、ドライヤーなどがありますね。これらの技術は、コンスタンティノープル陥落が起こったからこそ現代に生きていると言っても過言ではありません。それでは、今からこの出来事と重要性について具体的に見ていきましょう。

 

実際の動きを見ていく前に、そもそもこの事件で滅んだローマ帝国とはなんなのでしょうか?まずはこの事件の時代背景を見てみましょう。ローマ帝国は、起源前200年頃に現代のイタリアで誕生し、徐々に領土を拡大させました。西暦100年頃までには当時世界の最先進地域であったエジプトとギリシアを併呑し、最盛期を迎えました。文化面でも発展し、蒸気機関などの発明を発展させました。

 

そんなローマ帝国ですが、西暦300年頃から寒冷化とゲルマン人の侵攻などで弱体化し、395年にはついに東西に分裂してしまいました。西側はすぐに滅びましたが、コンスタンティノープルを拠点とした東ローマ帝国ゲルマン人の侵攻をうまく躱し、生きながらえました。この東ローマ帝国が事件の被害者となります東ローマ帝国は6世紀頃に最盛期を迎えますが、その後中東で勃興したイスラム勢力に徐々に押され、1300年頃にはコンスタンティノープルとその周辺だけを押さえる弱小勢力に成り下がってしまいました。  

最盛期のローマ帝国:

 

 

陥落前の東ローマ帝国:

 

さて、本題へ入りましょう。弱小勢力と化した東ローマ帝国はこの頃、東のアナトリア半島で勃興したトルコ人勢力に苦しめられていました。そんな時、ある勢力が彗星の如く現れます。オスマン帝国と名乗るこの国は瞬く間にアナトリアを制圧し、コンスタンティノープルへと迫ったのです。

 

オスマン帝国の君主はメフメト2世という名でした。彼はコンスタンティノープルのような堅固な街を落とすためには奇想天外な戦略がいると考えたのです。現にこの街は幾度となく異民族に攻めされ、またオスマン帝国もこれ以前に何回も包囲していましたが、全て跳ね返されています。今回もメフメトは同じ方法

で攻めようとしますが、案の定なかなか落ちません。そこで、彼は牛馬に艦隊を陸路で引かせ、封鎖されていた湾にもちこんだのです。封鎖されていた湾からも攻撃を受けることによりローマ側は大混乱

に陥り、あっという間に街は陥落しました。

 

コンスタンティノープル陥落は歴史において非常に大きな影響を与えました。その点は主に二つの観点においてです。まず、この街の陥落はローマを完全に滅亡させました。東ローマ帝国の滅亡は、紀元前から脈々と継がれてきたローマの正統な後継者の消滅を意味し、ローマを憧れの目でみてきた西洋人に大きな衝撃を与えました。これにより、ドイツやロシアなどが自身を第三のローマと称するようになり、後の紛争の理由を用意しました。二つに、この事件は西ヨーロッパの近代化を進めました。コンスタンティノープルには古代ギリシアやローマから受け継がれてきた技術や知識が保存されており、イスラム勢力の支配を嫌った技術者たちが西ヨーロッパに流れ込んできたのです。これにより停滞していたヨーロッパに技術革新が起こり、産業革命や後にヨーロッパが覇権を握る礎となったのです。まとめると、ンスタンティノープル陥落は世界、とりわけ西洋に大きな影響を与え、歴史の分岐点となったのです。

 

如何だったでしょうか。このように歴史の大きな分岐点の影響を学ぶことで、歴史は繋がっていることがわかり、より歴史が面白くなると思います。このブログがあなたの歴史の才能を開花させられると幸いです。

 

 

 

 

 

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