以前の私はといえば、

トラブルが起きたら「イェ〜イ!」とばかりに興奮していました。

 

 

 

相手を打ち負かすシーンを頭の中で想像してみたり、

はたまた、ムカついている心とは真逆の、

やけにハッピーな解決法を考えてみたりしていました。

 

 

 

トラブルを解決する手柄を求めてしまっていたんです。

「相手を負かしてやったぞ!」だったり

「大きな心で相手を許してやったぞ!」だったり。

 

 

 

頼れる人

いい人

 

 

 

周りからそんな風に思われるんじゃないか?と

手柄を想像しては酔いしれてました。

 

 

 

ところが、です。

 

 

 

去年の冬、

自分のデザインが流用されてる疑惑が持ち上がった時のこと。

 

 

始めの私の反応は

 

 

 

ふーーーん...

(自分の作品作りやってるから、いいや。)

 

 

 

だったんです。

 

 

 

疑惑の主の悪評を耳にしていたから

驚かなかったところも多少はある。

 

 

 

だけど、以前の私だったら

「何それ!」「悔しい!」「許せん!」と

ドッカーンと怒りで興奮して、頭フル回転していたはずなのに。

 

 

 

流用疑惑があったデザインは、

今だったらやらないな、と

どこか居心地の悪さがあることにも気づきました。

 

 

 

 

 

 

今は、あの時の「ふーん」で立ち止まっていればどうなってたのかな?と思うんです。

 

 

 

色々と疑惑の細部が分かって来て、

関係者と意見交換している内に

あれ?なんだか、その気になってしまってるんじゃないの?!イヒ

 

 

 

頭の中にひしめく正論

それとは真逆の

自分のどこかにある静けさ

 

 

 

この両方を只今体験中。

まさに、過渡期!

 

 

 

心に度々聞いてみるんです。

「どうしたいのか?」って。

心が指し示すのは、これまでの私にはないお茶目な解答。

 

 

 

いやいや、ホントに?それでいいの?と

思考は心と正論の擦り合わせを考え始めちゃったりする。ねー

 

 

 

また、手柄?

それを想像するクセはまだ残ってるけど

もうウマミは感じられない。

 

 

 

どうして手柄を求めてたんだろう?

 

 

 

遠い子供の頃に、親から得たかった賞賛なのかな。

他人の目を通して、自分が親の代わりに自分を認めてやりたかったのかも知れません。

 

 

 

そう思うと、悪戦苦闘の中、よく頑張ったな。

 

 

 

自分の日々の色々を、褒められたもんでもないところも含めて

「そうか。」

「そういうところ、私にはあるかも。」

「それでもいい。」

そんな風にジャッジせず1つ1つ自分で自分を認めていったら、

いつの間にか、かつて求めた賞賛はいらなくなっていました。

 

 

 

これも、心の傷が癒えた副産物なのかもしれません。

 

 

 

 

 

Ra Suumi(ラー・スーミ)