私の悪いクセ、といえば無理をする。ということ。

特に仕事だ。

 

 

軽快に始めたはずの案件が

いつの間にか、重い...!ねー

 

 

「これもお願いできますか?」というのは

仕事を受ける上ではありがたいことのはずなんだけど。

 

 

長年やりたかった、アートを始めてから

普段のデザインの仕事の楽しさと

アートの楽しさの違いを知った。

アートは怖いんだ。でも仕事と比べられない感じの楽しさがある。

 

 

その楽しさを知ったことと、日々の心との対話の積み重ねで

無理をするクセは大分マシになったはずだったんだけどなあ。。。

 

 

今やってることのどの辺りから

無理し始めたんだろ?

前は分からなかったけど、そういえば「フッ」と何かよぎる感じがあって

あれこれと自ら引き受ける意志表示をしてしまった。

 

 

 

これは一体なんでなんだ?

 

最近、私は知ったのです。

 

 

破壊欲動ということを

 

 

それは

 

 

自分の新陳代謝につながるらしい。(うん、パッとは分からない。)

 

 

 

ちょっと面倒なお願いを引き受けるというより引き出してしまっていたんだ。

(ハッキリ意識してはいなかったけど)

無意識のレベルで、自分自身の破壊を求める気持ちが相手に映し出され、

相手がイヤな役を引き受ける。

 

 

そして、イヤなことが起き、

私はその相手を頭の中で裁く。

いわば自分を破壊させて、相手を裁く。

 

 

これは、どこから来ているの?

 

 

母なんだな、やっぱり。

 

 

面倒なお願いごとといえば、子供の頃から母だ。

私は10才の頃から母の相談役だったから。

 

 

心の傷は癒え、母の声が頭に鳴り響くのが止んだ今でも

まだ、こういうことがある。

かといって、まったく辛くない。

もう、自分と母とを切り離しているから、自分ごとなんだ。

 

 

母との攻防戦の残りカスみたいなものを

心はお掃除しようとしてるのだな。

 

 

そう思って、唱えるのは

 

ママを捨てる。

 

という呪文。(※あくまでも呪文です。)

 

 

アドラー心理学的に言えば、

 

課題の分離。

 

 

 

自分探求のお話なのです。

これが何だ?って話なんですけど

こうやって、心は新陳代謝していってるということらしいのです。

あんまりよくわからなくていい、ふ〜ん位でいいというお話です。

(漠然としてるが、無意識が働くから。)

私もよくわかってない。抽象的だけど、何か実感は感じるくらい。

 

 

何だっていいんです。

自分のまっさらなスクリーンにものごとが映る。

それをどう読み解くかという趣味のお話。

 

 

ただいま自分をリニューアルしている真っ最中。

 

 

こういうことがあるたび、自分の色んなところを知って

ああそうなんだな、とただ認める。

「こんな私がいけないんだ。なんでまた引き受けちゃったんだろ?」とは責めない。

 

 

一見、ネガティブなようだけど

心のしくみを知ると、自分の何をリニューアルしてるのかな?って面白いのです。

 

 

 

多分今の私は、無理してきたところを心が掃除してるんだな。

 

 

破壊欲堂は最近の大嶋信頼さん(心理カウンセラー)のブログによく登場してきます。

 

 

Ra Suumi(ラー・スーミ)