精神的疲れ | 遥かなすぐ近くに

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2015年1月不妊治療(早発閉経)に終止符。
仕事・ライブ参戦・カフェ巡り・スポーツジム・・と自己満足な私の備忘録。
夫婦二人で、今後、どんな人生を送ろうか?考える事を今後の趣味に加えて行こうと思います。 

2月最後の月曜日。

恒例?旦那氏、カラダ重いと言って休み・・・

月末にほぼ“必ず”である。


凹の波が30日でやってくるのか?!

彼に月末は嫌な事あるの?と聞いてみるが

先週、久々に残業続きで疲れてはいるけど、月末は関係ない、との事。


私が仕事終わって帰宅しても寝ていて具合を聞いたら変わらずの様子。

「困りましたねぇ・・・」

と思わず言ってしまった。。



夕食後、旦那の両親が住む仮住まいの家へ一人で出掛けた。

彼の事もそうだけど、メインの話は、義父母の今後の住まいのこと。

市では被災して半壊・全壊した家を対象に解体をしてくれるのだが、本来、今春やる予定が、あまりに申込者殺到の為に、解体時期等のアンケートが届いたのだ。

それを旦那を介して「ぴこぴこに見てもらって」とよこされた。

私にどうしろというのだ~と実家の母に愚痴を言いつつ、ほおってはおけず、出向いて話をしてきた。


震災から間もなく1年がたつけど、義父母は全然踏ん切りがつかず、解体についての気持ちがフラフラとしている。

地盤が駄目で、家も傾き、このまま住むのが怖いと言って仮住まいの家を提供してもらっているのに、今でも日中はもともとの家に出勤し、仮住まいは夜寝るだけのものとなっている。

そして、今となっては日が少しずつ伸びてきて、何だかますます踏ん切りがつかない、という。


でも、よく聞くと、今までの家をそのまま住むという事は出来ないと理解はしていて、かと言って、借家を借りて家賃を払っていくなら、むこう生きるであろう年数の家賃分で家を建てられるのでは?という思いがあるそうだ。


であれば、家を建てるなら早い方が良いのでは?

このまま解体を伸ばしてもゆくゆく家を建てるなら。


そう話したら「そうだよね・・・」とのこと。


きっと、義父母ふたりでは話が決まっているけど、でも、行動にはうつせずにいて。

背中を押されないと進まないんだろうな、って思いました。


実の子供達は「おとうさん・おかあさんが良いようにしたらいいよ。」とだけ言っていて。

本当は、こうしたら?って具体的に言ってもらいたいんだろうな、と。


ウチの旦那氏は精神的な病で頼りにならないし、それもあってか、義父母は旦那氏には言わない。

頼りは、他の兄弟。。

私から連絡とるかぁ・・・


あー、嫁なのにここまで突っ込んで話聞く必要あるのかな。

どうぞ、血族だけで相談しあっていただいて、私は結論だけ聞く人で良いのに。



結局1時間半ほど話し込んで、それからジムにて筋トレ・ボディーヒーリング・マッサージチェアー(久しぶりに肩コリ酷くて頭痛だったので念入りに)をして帰宅。


さらに、入浴後に明日のお弁当準備。


今日は仕事より、その後で疲れました・・・。



明日も旦那氏は仕事に行け無さそうだ。

あーーーーー