語る日。 | 遥かなすぐ近くに

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2015年1月不妊治療(早発閉経)に終止符。
仕事・ライブ参戦・カフェ巡り・スポーツジム・・と自己満足な私の備忘録。
夫婦二人で、今後、どんな人生を送ろうか?考える事を今後の趣味に加えて行こうと思います。 

8月16日(土)


お盆休み4日目(と言っても今日は有給休暇取得)の今日は、

休日診療で婦人科9時予約。

ダンナは熱は下がったものの、まだダルそう。

ホントは一緒に出掛けてもらって、映画とか何かプチお出掛けしようと思っていたんだけどな~汗


30分車走らせて婦人科へ。

病院は30分弱で終了。

せっかく繁華街(笑)に出たので、ひとり、買い物ぶらり。

立ち寄った本屋で見たい本を発見、

でも、買うのはなぁ・・という思いがあり、

場所を図書館に移動。


今の図書館ってとっても便利で、貸出禁止だけれど、その場で沢山の雑誌を読む事が出来る。

それも新しい図書館だから、とってもすわり心地の良いソファで。

2時間弱、ひたすら雑誌読み本


そこでは、料理の本を読んで、良さげなレシピを手帳に写したり。

そして、うつの家族を持つ人の記事を読み・・。

なんだか、ウチなんかよりもっともっと長い事、苦しんでいる手記を見て、

まだまだ先は長いんだなぁ・・・と。


その本には


患者を見守る“うつの家族”は自分の仕事と趣味を捨ててはダメ。

自分のための時間と空間を確保すること。

完璧主義ダメ。

頑張りすぎ禁物。


「夫が憎い。周りの幸せそうな人も憎い」と感じるのは当然。

同じ立場の仲間に悩みを打ち明けたり情報交換することで、心得や療養のヒントが見つかるはず。

心の病気の一番の薬は「時間」回復は月単位でみてください。

うつの家族は暗黒のトンネルをさ迷う旅人。

回復の光を照らす道先案内人や仲間がいれば心強い。

サバイバルの方法を学びつつ、重い荷物はプロに任せ、

「焦らず・あわてず・諦めず」回復の道を歩いていきましょう。


という様な事が書いてありました。


これは心の病にかかった家族にあてた内容だけれど、

不妊治療にも置き換える事が出来るのかなぁ、と思いました。

全部が全部じゃないですけど。


焦らず・あわてず、、って頭ではわかっているつもりだけれど、

でも、じゃ、いつなの??っていう思いが拭いきれませんしょぼん


*=*=*=*=*


夕方は毎年の恒例、母と弟家族と一緒に灯籠流しに行ってきました。



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父が亡くなってから毎年、出掛ける様になりました。

今では小3の姪が、当時は灯籠見ながら「おじいちゃん、こっちに手を振っているよ」とか、送り火焚いていても、「おじいちゃん笑っているよ」とか見えていたんですけど、大きくなった今、小学校に入学した時に教室に来てくれたのを最後に現れなくなったそう。

大きくなったからか、安心してくれたからか、、、。

13日にお迎えに行って、今夜、また帰って行きました。。


*=*=*=*=*


父は私が不妊治療をしている事を知っていました。

病気で入院している父、初めて排卵誘発をした時に(妊娠に繋がる治療が出来て)良かったな、って言ってくれました。

お父さんが具合悪くて、病院に見舞いに行っても「(婦人科に行く)時間だろ?ほら。」と。

昏睡状態でいたとき、私の従妹が妊娠を報告した事が私の妊娠と勘違いをして、

「良かったなぁ。本当に良かった。」

「男か?女か?」

って本当に良い笑顔で私に言ったんです。

あんな穏やかな笑顔、見たこと無かったってくらいに。

違うよ(妊娠してない)って否定出来なくて、「まだ、(性別は)わからないよ~」って言ったんです。

そう、妊娠した事にしてました。

そして、お父さんは逝ってしまったんだけれど。


嘘をついてしまった私は、これで良かったのかなぁ、とすごく考えました。

罪悪感を感じてました。


でも、その当時に不妊の事をお話出来る方に言ってもらえたんです。



それは子供を授かる事が出来たら嘘じゃなくなるって。

その授かった報告をした時のお父さんの笑顔、先に見れたんだよ。


って。


そう言ってもらって、気持ちがスーッと落ち着いたのを覚えています。

そして、簡単に(子供を)諦めちゃいけない、とも。


母も義父母も口にはしないけど、

応援してくれています。

口にしないことほど、ありがたいことは無いです。



両親には感謝しています。

私はそんな“親”になりたい。



不妊治療12年目の夏。