私の不妊治療について…
私は学生の頃から生理は不順でした。
今思えば水泳の授業も生理がぶつかった~って事がありませんでした。
たまに来る生理に「楽チン!」とお気軽に思っていたんです。
20歳の誕生日目前に私は激しい腹痛に見舞われました。
本『家庭の医学』を読んで、自分は盲腸(急性虫垂炎)だ!と思って病院へ。
「生理はいつが最後ですか?」という看護婦の質問に「3ヶ月前」と答えたら
「妊娠しているんじゃないの??」と聞かれて、ハッキリ「NO」と言いました。
盲腸の手術をして1週間後に退院して間もなく生理が来て、、
「寝たきりの時に来なくて良かった!」
なーんてノンキに思いました。
21歳になる年、私は社会人になりました。
会社に入って、数ヶ月に1度来ていた生理が全く来なくなりました。
さすがに心配になり(妊娠したとかじゃなくて)近所のS産婦人科へ行きました。
おじいちゃん先生には、その時何の薬を処方してもらっていか認識がありません。
1年弱通って先生から「原因がわからないから」と総合病院への紹介状を書かれ転院しました。
K総合病院とは地元でも市の大きな病院で。
ここに来たら何でも治るんだ…位のキモチでいました。
でも。先生は採血等の検査結果を見て「どこも悪くないんだよなぁ…」と
2年ほど排卵誘発剤を打たれていました。
まだ独身だったので母が排卵誘発剤を打たれる私に「怖いから辞めたら?」といい通院を辞めました。
それから、ウワサで聞いた整体クリニックに2年ほど通います。
生理が終わってしまったおとしよりがここの整体に通って生理が復活したというウワサです。
通い始めた時に、生理が無いという話はハッキリしました。
先生も婦人科系のツボなどを念入りに押してくれていたと思います。
でも、最初は強気というか、前向きな先生も、終わりの頃には
「これと平行して病院に行った方が」的な話をしていました。
それから26歳目前で結婚をします。
その時に整体に通うのは辞め、不妊専門のクリニックの門を叩きます。
そこでわりとすぐ、『早発閉経』(本には『早発卵巣不全』と書いてあるものも)と診断されました。
「何でわからなかったんだろうねぇ…」と先生。
何で発見してもらえなかったんだろう…とココロの中の私の声。
そして先生「排卵誘発もね、刺激されるし、続けていればよかったんだけれどね」
生理が自力で来なくなってから5年が過ぎていました。
当時、FSHは100台でした。(正常値は1ケタ)
FSHが高い=卵巣が機能していない事らしいです。
約10年、カウフマン療法を続けながら、先生の治療方針に従い、
スプレキュアをしてFSHを下げて、クロミッドや自力注射HMGで排卵誘発を試しました。
2004年6月、治療から8年目に初めて、卵胞が育ち、AIH(人工授精)までこぎつけました。
結果は妊娠反応が出ずに終わったけれども、可能性は0じゃないんだ、
少し前進した気持ちになりました。
諦めていたけど、初めて妊娠に繋がる治療が出来て、もう少し頑張ろうという気持ちになりました。
それからもう4年が経とうとしているけれど、結局、その後は卵胞は育っていません。
健常な女性だったら1ヶ月に1つの卵胞が育つのに、私は10年間で1つ。
昨年は排卵誘発の治療さえも出来ませんでした。
今のクリニックに通って11年目。
今、36歳。今年の夏、37歳になります。
私の不妊治療は40歳までがラインなのかなぁ、と漠然と思っています。
あと3年。
『早発閉経』自体をあまり本で見かける事がありません。
私の日記の目的のひとつは、この『早発閉経』の治療法について、
少しでも情報を提供できたら、参考になったら、そして何か情報を教えてもらえたら、、
そんな思いで、治療日記をつけていきたいと思っています。
ちなみに。
古い日記にも2004年~2007年の治療の様子は書いてあります。
http://diary7.cgiboy.com/1/sukiyaki/
※こちらは現在閉鎖してしまい、このアメブロに遡って記録してあります。ママになる事は遠い夢かもしれないけれど、
“諦めて後悔する”より“行動して後悔しない”ように今を一生懸命頑張ろうという思いが
わずかでも夢叶う事に繋がるかも?!
そんな思いを込めて2006年に解散してしまったダイスキなSomething ELseの楽曲『遥かなすぐ近くに』をタイトルにしました。