vittorioのブログ

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 はい・・・新年早々、しかも久しぶりのブログでこんなことは書くのはどうかとは思いますが・・・怒りが収まりませんので敢えて書かせてもらいます。

 今日久々に開放された気分になってラーメンを食べに行ってきて更に幸せな気分になってたわけですよ。そしたらその帰り道に悲劇がおきました。川を挟んだ対岸からいきなり雪球・・・というか氷塊を、誰か分からない人に投げつけられました。幸い氷塊は川へ転落することを防止する目的で建てられたと思われるガードレールに当たって軌道が変わったおかげで僕の前後をかすめていき、直撃弾は無かったわけですが・・・。さて、これだけでも不愉快極まりないのに、その氷塊を投げつけてきた人達(以下α及びβとする)は誤りにくるどころか、逃げていきました。しかも僕の幻聴でないならばαとβは笑いながら逃げていきました。この文面だけ読んだ方は僕が非常に短気な方と思われるでしょうが、実際氷塊が飛んできてガードレールにぶち当たり、ものすごい音がしたので前にも後ろにも進めなくなってしまったので、当たることは無かったです。

 氷塊を投げつけてきたα及びβ(どちらかは不明)のコントロールが凄く良かったとしても、ガードレールに当たって割れた氷塊を僕が避けれると思ったのでしょうか?はたまたコントロールが悪かったおかげで対岸のガードレールに当たってしまったのでしょうか?どちらかはまったく持って分かりませんし分かりたくもないです。ただどちらにしても僕でなくそれこそ自転車に乗っている人に直撃したり、投げつけた相手が心臓の悪い人であったらどうなるんだろうか、とは考えなかったのだろうか?寧ろそういうことまで頭が回らない無能だからこそ、そういう向こう見ずのことが出来るのだろうなと心底考えた。

 更に言いたいこととして、謝罪もせずに逃げたという点・・・これ、どうなの?たとえ無能でもきちんと謝罪をしに来てくれさえすれば、はじめは少々怒っただろうが、「次からはするなよ」の一言で済んだだろうし、逆にブログに書き込む内容は褒め称えるものとなっていたであろう。如何に無能な人間であっても、自分がやりましたと相手に対して自らの正体を自分から明かして謝罪するほどの覚悟があったとしたら、それは確かに賞賛に値するだろう。しかしそれが無かった・・・なにそれ?無能な上に、矮小な人間としか、否、人間とすら呼べるのだろうか?もはや人間とは呼びたくはない。人の形をしたただの動く排泄物製造機でしかない。日本ではこんな輩が成人し、更には将来の日本を支えるんだと叫ぶのだから・・・非常に悲しいものがある。

 ここまでは相手がターゲットが僕であるということを知らずに攻撃をしかけてきた場合というものを考えて書いてきたわけであるが、もし歩いている人が僕であるということを知った上で、明確な殺意を持って攻撃してきた場合なら・・・。その場合でも僕に最初に文面でも何でもよいので布告をするべきではないだろうか?こちらだって日々生きていく上で、人に対して知らず知らずのうちに迷惑をかけていることがあってもおかしくはないと思ってはいるし、謝罪せよとなれば頭を下げる位の覚悟はある。(お金を要求された場合は又別で、裁判にまで持って行ってでも立場を明確にさせるつもりではありますが)まして直接的な原因が僕にあって、それを苦にして殺しに来るならば・・・僕は殺されても構わないとは思う。当然がら筋道だった理由と僕を殺さなくてはならない理由は必ず問い詰めた上でしか納得はしないですが。でも今回の場合布告も無かった上にいきなり攻撃を受けたわけである。その後に布告でもあるならば明確な敵としてこちらも全力でかかっていくだろうが、それも無いとなると、臆病者であるとしかいいようがないだろう。嗚呼、そんな相手であったとしたらならば、非常に遺憾である。

 とまぁ、つらつらと書きましたが、まだ怒りが収まらない!怒ってても血圧上がるだけなので・・・もうねます><

 非常に無駄だなぁ~などと思いながらも、なんか記録しておくことにしました。あることから四次元ポケットがあればいいのになぁ~などと考えてしまったことから、「四次元ってなんなんだろう?」などと文系なのに訳がわからないことをかんがえていました。

 通常の3次元に、今一般に有名とされる「時間軸」を加えることで4次元となると言われている。ではこの時間の軸が増えるとどうなるのだろうか?同一空間上に別の時間(今日、昨日、明日、一年後、・・・etc)が存在することによって、3次元でのある時間におけるある体積が同一次元に存在し続けるため、中身は結果として無限の体積を持つことになるのではないかと・・・。ドラえもんの四次元ポケットは、そのポケットの中身は無限大の広さであるが、その広さの理由は同一体積の時間を越えた連続存在によって生まれたものなのではないか?