映画館へ。足の故障と、4月以降土日は寝てるだけでろくに出歩けず、約五ヶ月ぶり。
興行成績ランキングでは圏外の作品ながら、日曜朝イチの回の客入りは半分ほどと上々だった。
ご当地映画の強みで客を集めているんだろう。
[映画]
USシネマ千葉ニュータウンで、「20歳のソウル」(秋山純監督2022年136min.★2.5)
千葉・市立船橋高校の野球部応援曲「市船SOUL」を在学中に作曲して、音楽家としての将来が期待されていた青年が癌に冒され、闘病の果てに20歳の若さでこの世を去り、告別式には吹奏楽部の同級生はじめ彼を偲ぶ164人が集結、その早すぎる死を悲しみながら、遺された「市船SOUL」で彼を見送る。
ラスト30~40分、画面のどこかで常に誰かが泣いている「涙リレー」は、いくらなんでもやり過ぎ。隣の隣の席に座っていた御婦人もずーっと泣き通しで、ああこの人くらい心がキレイだったらどれだけよかったことか……いやそういう問題じゃない、と思う。
誰も彼も自分の気持ちを一から十まで口に出さないと気が済まないらしく、それが更に次の泣き場へ連鎖。そこへ荒井由実の「ひこうき雲」まで臆面もなく流れてくると、もう……。この下りは、今にも死にそうな主人公が這う思いで駆けつけた母校の吹部演奏会で披露される流れ。彼の病状を知りながらわざわざこの合唱をプログラムに加えた、恩師である顧問の意図は、おまえ早く死ね! ということだろう。
本作の問題は、浅野大義という個人の「真実の物語」が、一編の映画の主人公とするには未完成すぎたことに起因していると思う。実績らしい実績と言えば、映画が始まり20分そこらで早々と完成する「市船SOUL」と、卒業後に母校の演奏会のため書き下ろした「Jasmine」のみ。その人物像にしても、いい人で才能もあるんだろうが映画はどこか焦点が絞りきれていないぼんやりした印象で、演じる神尾楓珠のギリギリ水準点な芝居では掘り下げることも叶わず。
家に病室に、彼のいるところにいつでも置いてあるコーラは何の意味があったんだろう。健康に悪いってこと?
打楽器担当なトウマの自殺騒動だの、「下手な先輩は存在自体が罪」(吹部繋がりでつい「ユーフォ」ネタを)なトランペット担当ミナと部長の対立や、そのミナの卒業後シングルマザー化問題、怪我のせいで応援団長に回った野球部の彼など、原作には一行も出てこない波風イベントは、全てが予定調和的に解決される。とりあえずスローモーションで走って叫ばせて大仰なBGM を音量MAX まであげとけばOK という思考停止感。そのくせ、第一志望の習志野高校を落ちて市船には消極的に入学した事情や、吹部の指導で訪れた高校で即日告白して彼女をゲットしたとかのアレな真実のエピソードはしれっと引っ込めているのが小賢しい(そのせいで福本莉子演じるナツキと付き合うことになった経緯を映画は何も語らない)。
発病以降の後半は、高橋克典演じる医者とのコントのような入退院のやり取りが繰り返されるだけで、周囲のやはり中途半端に良い人たちとの関係も別段の変化がないまま、我らが主人公はいつのまにか死んじゃって、後はもう誰も彼もただオイオイ泣いてるだけ。
「真実の物語」という枷に縛られすぎた結果エピソードを過度に盛ることもできず、「若者が早死にして悲しい」以外、何もない虚無。
映画全体を通じたドラマが根本的に欠如している一方、主人公がアドバイスする旗手の後輩男子と、164人が演奏に来るとわかり戸惑う葬儀場の石黒賢の二人は、一瞬で態度を手のひら返すまるで説得力のないキャラクタで呆れた(前者のシーンはじめ、悪い体調を押して出歩く大義に顧問やトウマが肩を貸す場面がちらほらあったが、とりあえず座らせてあげればいいのにと気が気でなかった)。
顧問を演じた佐藤浩市は、本作のキャスト陣で唯一と言っていい良心。15秒に満たない「市船SOUL」のPVとしては、あまりにも長くカビのはえそうな湿気のなか、何とか映画として見られるものにしようと最善を尽くしていた。
エンドロールを見た感じ、練習シーンなど佐藤浩市の指揮で楽器を演奏していた多くは、現役の吹奏楽部の学生だったらしい。映画前半の大義高校生パート含め、実は体育会系な吹部の時にギスギスした雰囲気は、ある程度描けていたと思う。繰り返しになるけれど、イメージソースは「響け!ユーフォニアム」なので、したり顔で語れるわけではないが……。
原作では冒頭に登場する、顧問から吹部OBへ一斉に送られたLINE のメッセージは、性別や立場を超えた亡き教え子への愛の告白に他ならず。佐藤浩市をもう少しやさぐれた顧問にして、大義の方は彼女とのイチャイチャを全部切って、「セッション」(2014)みたいに教師と生徒が才能の火花を散らすような映画にすれば、ずっと心揺さぶる作品になったろうに。
トウマの自殺騒動のくだり。
顧問は今にも飛び降りそうな彼を前に、集まってくる他の生徒を「刺激するな!」と遠ざけておきながら、もう飛び降りる心配がなくなったとみるやトウマヘ「どうせ、なんて言うなら辞めちまえ!」と直球で刺激してトウマは無言。
場面変わって、顧問は塙宣之演じる消防隊員から撤収間際に「ごめんで済めば警察はいらないんですよ!(あんた捜査一課長の部下なのに) トランポリン持ってくるの大変なんですよ!」などと絞られる。
ここ、映画文法的には、彼らの背後にトウマがぐしゃっと落下しなければならないところ。来るか来るかと身構えてたのに、なにもなかった。
「市船SOUL」、確かにアガる曲ではあるけれど、試合での演奏は基本エンドレス&打者が当てた瞬間に別のファンファーレへ移行しなければならないため、終わらせ方がないっぽい。
クライマックスの大演奏でも、いきなり場面転換でぶった切っていたが、みんなが泣いてるあの雰囲気のなか、どうやって演奏を終えたのかこそ見たかった。
↓原作本まで読んで臨んだのは、見る機会をくれた関係者への恩義のつもりだった。
[2022/6/5]