再生回数40万回突破と好調な『ナツカレ★バケーション』。
 

 

 


数字だけでなく、内容的にも高評価な様で、「神曲!」やら「メンバー可愛い!」やら「水着最高!」といった感想をよく目にします。

そんな中、私の第一印象の感想としては、こんな事をツイートしました。

 

 

 


当時はNGT48の暴行事件もあって、性暴力を匂わす表現には若干ナーバスになっていたのかもしれません。

とはいえ、水着の写真を要求する様な男に惚れる…という展開は理解し難いものがありますよね。


それに、そもそもサーファー(チャラ男)との恋愛をどうして応援しなきゃいけないんだ?という思いもありました。笑

 

 

 


こういう部分が気になるのは、「自分が恋愛弱者だからなのか?」「恋愛強者はこれくらい気にしないのか?」なんて疑問を抱いていたのですが、ふとYouTubeのコメント欄を見たところ、こんなコメントを発見。





ちなみに、このコメントはトップに表示されていた(評価が高い)ので、やっぱり「水着の写真」に引っ掛かっている人は、結構多いみたいですね。



個人的にも、この部分が気になって聴くのを避けてきたんですが、久しぶりに向き合って聴き直してみたところ、「もしかしたら、この歌詞はこういう事を歌ってるんじゃないか?」という自分なりの解釈を見つける事が出来ました。

なので、今回は自分なりに『ナツカレ★バケーション』の歌詞を解説してみたいなと思います。

解説…というよりは、私の解釈を披露するだけですが、皆さんが『ナツカレ』に抱いてるモヤモヤを解消するヒント、この曲をより好きになれる見方を提供出来る様に書きましたので、良ければ読んでみて下さい。




 

・なぜ、水着写真要求男に恋をするのか?


では、まず1番の歌詞から見て行きましょう。
 

 

白い砂浜 ビキニで誘惑 恋する彼は波乗りサーフライダー

水着の写真 送ってなんて「誰にでもこう言うコト言う人なの?」 

 

既読スルーされてショッキング↓
ふたりの夏の恋は 永久保存の燃えるような恋しようよ!

 


何度読んでも、水着の写真を要求されたり、既読スルーされて、「燃えるような恋しよう!」となるのが意味不明ですよね。笑

ここで、1つ注目してもらいたいのは、冒頭にある「白い砂浜 ビキニで誘惑」という部分。

アイドルの歌という事で、この曲の主人公もアイドルっぽい清純な少女を想定しがちなんですが、この曲の主人公は“ビキニで誘惑”をする様な人なんです。

つまり、自分に自信があって、恋愛にも積極的なイケてる女子が、この曲の主人公なのでしょう。



そんなイケてる女子がサーファーを誘惑してみたところ、自分の存在を軽んじられ、無視する様な態度が返ってきたと。

それは彼女にとって、ある意味では新鮮なリアクションだったのかもしれません。

これまでビキニで誘惑すれば、ほとんどの男が転がってきたのに、サーファーだけは振り向きもしなかった。

そこには屈辱と同時に、サーファーへの興味や好奇心も芽生えたはずです。

元々あった好意に加え、興味や好奇心が混ざり合う事で、主人公の中に“恋”というものがスパークしたわけですね。

だからこそ、主人公は凹んだり、引く事もなく、逆に燃え上がっていくと。



おそらく、この主人公は、勝手に振り向いてくる男に身を任せて、受動的な恋愛ばかりをしてきたのでしょう。

ところが、今回の男はまったく振り向かない、自分で何とかしないといけない…という主体的な恋愛をする事になります。

この曲のサビでは、「私コイシテル」という歌詞を伸ばして歌う事で強調していますが、そこには、主人公が自らの意思で恋をしているという実感が込められているに違いありません。

 

 

 

 

 

・なぜ、サーファーなのか?


主人公の人物像が明らかになった次は、サーファーです。

しかし、そもそも、なんで主人公の恋の相手役にサーファーが設定されたのでしょう?

何かと恋愛にはセンシティブにならざるを得ないアイドル界の事を考えれば、相手役は抽象的な存在に抑えるのがベターなはず。

事実、同じ夏の恋愛模様を描いた『ラブサマ』では、相手役については、ほとんど言及されません。

 

 



ファンが相手役に自分を重ね、アイドルとの擬似恋愛感覚を楽しむという意味においても、相手役に特定のイメージを付与する事は得策とは思えないんですね。

となると、相手役にサーファーを設定した事には、何かしらの意味があるのかもしれない。





ここで、ちょっと話が逸れます。

先日、私は『寝ても覚めても』『溺れるナイフ』という2本の恋愛映画を見ました。

普段、恋愛映画はあまり見ないのですが、この2本は評判が良いので、試しに見てみたんですね。

 

(この2作の詳しい内容については、ここでは割愛します。)

私がこの2作を見て、興味深いなと思ったのは、2作に共通の設定が見受けられた点。

2作品共、女性ヒロイン1人に対して、恋の相手役となる男性が2人登場するのです。

しかも、2人の男性のそれぞれのタイプも共通している。



1人は漫画に出てくる様な王子様。
自分勝手で、ミステリアスで、全能感に満ちた、選ばれし者とでも言うべき自己中男。

もう1人は現実世界にいる王子様。
献身的で、相手を尊重して、全てを受け入れる、どこにでもいそうな優男。

この両極にある理想的な男性に挟まれながら、ヒロインが二者択一をする話というのは、少女漫画の世界ではよく見掛ける設定ではあります。

男目線で考えると、後者のタイプを選択する人が多いと思うのですが、漫画や映画の世界では意外と、前者のタイプが選ばれる事が多いんですよね。



「どちらの男を選ぶか?」という事は、「恋愛に何を望むか?」という事であり、「男に何を求めるか?」という事でもあります。

優男タイプを選ぶ人間が望むのは、安心や安全であり、彼を選べば安定した生活を得る事が出来るでしょう。
しかし、安定を選ぶという事は、自らの可能性を閉じて、ありふれた退屈な人生を生きるという事でもある。

一方、自己中男タイプを選べば、危険や不安が付き纏うものの、刺激的な生活を得る事が出来るでしょう。
その先にあるのは破滅かもしれない…でも、天国にしろ地獄にしろ「ここではないどこか」へ連れていくのは確かだし、自らを更なる高みへと導いてくれるかもしれない。

 

 

 

これって、例えば「オタクがアイドルに何を望むのか?」という話に置き換える事も出来ると思うんですね。

アイドルに対して、癒しや安らぎを求める人もいれば、一方で、やる気や元気を求める人もいる。

どちらが良い悪いという話ではなく、他者に何を求めるのかは、人それぞれという事です。





話を『ナツカレ』に戻しましょう。

では、先の話を踏まえた上で考えた時、サーファーは自己中男タイプと優男タイプ、一体どちらに当てはまるのか?

サーフィンというスポーツは一見すると華やかな世界に見えますが、その裏では海難事故に遭ったり、時には命を落とす事もある危険なスポーツでもあります。

華やかさと危うさを合わせ持つ存在として見た場合、サーファーは自己中男タイプと言えるでしょう。

つまり、この曲におけるサーファーという存在は、主人公の成長を促す、憧れや目標の対象と言えるのかもしれません。

そして、安定よりも成長を選ぶ主人公の姿は、スパガというグループにも重ね合わせられます。

今の彼女達に求められるのは、現状維持ではなく、限界突破していく事なのですから。

 

 

 

 

 

・サーファーが象徴するもの


サーファーについて、もう少し掘り下げましょう。

『ナツカレ』の歌詞を見渡した時に気付かされるのが、主人公側が熱心にアプローチするのに対し、サーファー側のリアクションはほとんど描かれないという事。

笑顔を見せたり、名前を呼ぶくらいで、サーファー側の気持ちは、まったく見えてこない…。
主人公がどんなに振り向かそうとしても、サーファーは振り向かないのです。

憧れの対象でありながら、決して手の届かない存在…。

もしかしたら、サーファーには神的なイメージが重ねられてるのかもしれません。



では、これをスパガに当てはめて考えてみましょう。

憧れと同時に恐れもあって、手を伸ばしても届かないもの…それはスパガにとって、一体何を象徴しているのか?

これはもう“武道館”を連想せざるを得ません。

多くの人の目標でありつつも、時に人の人生を狂わせ、どんなに近づこうとしても、決して近づけない場所。

この曲では、何度も「ススメ」や「GO」という言葉が連呼されますが、彼女達は武道館に向かって進んでいるのです。

 

 

 

 

 

・この恋は実ったのか?


最後に、この恋の結末について、考えてみましょう。

3番の歌詞については、こう書かれています。

 

偶然見つけたあの日から私はあなたが 「好きです。」

ススメ GO GO GO ガール まっすぐ恋セヨ

片想い 夏の花火へと

打ち上がれ高く(泣くな) 綺麗な景色ね

こんなに笑って泣いた夏は二度と来ないんじゃない?!

 


「泣くな」という言葉がある以上、主人公が泣いているのは確かでしょう。

問題は、この涙が悔し涙なのか?嬉し涙なのか?という事です。

これ…どちらにも解釈が可能だと思うんですね。

悔し涙の方が可能性が高い気はしますけど、嬉し涙だとしても通じるし、結論はペンディングされた…という見方も出来る。

ここをどう受け止めるかは非常に悩ましく、その判断は受け手に委ねられてるとしか言い様がありません。



しかし、この恋の結末以上に重要で注目すべきは、最後の一行にある「こんなに笑って泣いた夏は二度と来ないんじゃない?!」という部分ではないでしょうか?

この一行からは、主人公がこの恋に対して、全身全霊で向き合い、正面からぶつかって行った事が読み取れます。

何か1つの事に夢中になって取り組む事の価値や喜び…それに気付いた事こそが、主人公にとって何よりの“実り”になった事でしょう。



「主体的に恋をする」という事は「主体的に生きる」という事であり、「熱えるような恋をする」という事は「燃えるように生きる」という事でもある。

1人の男を一生懸命に愛した様に、1日を一生懸命に生きるという事。

だからこそ、人生は充実し、光り輝くという事。

そんな哲学的(実存主義的)な境地にまで、主人公は辿り着きます。

この恋の成否は分かりませんが、この恋によって、主人公が成長した事は間違いないでしょう。

“ビキニで誘惑”なんて事をしてた主人公が、ここまで成長したのかと考えると、ちょっとグッと来ちゃいますよね。



そして、これはスパガにも同じ事が言えるはずです。

彼女達が武道館に行けるかどうか…嬉し涙を流すのか?悔し涙を流すのか?は分かりません。

しかし、それ以上に、日々努力し続ける事が重要であり、その努力こそが彼女達をキラキラとした存在にし得るのでしょう。

武道館に恋し続ける限り、彼女達は成長し続けるのです。

 

 

 

 

 

・最後に


今回の解説を私なりにまとめると、こういう事です。



「私はアイドルになった。
 

 でも、現実は水着にさせられたり、仕事の報せも来ない毎日…。

 こんなの悔しいから、絶対に夢を叶えてやる。

 夢を諦めず、挑戦し続ける…私は本気だから。


 アイドルになった日から、私の夢は武道館だった。

 嬉し涙を流しても、悔し涙を流しても、私は全力で進み続ける。」




如何でしょう?

元々のチャラ男との恋愛物語から、1人のアイドルが自我に目覚め、戦いを決意するまでの…非常にエモい物語へと魔改造してみました。笑

最初に言った様に、これはあくまで私の解釈に過ぎません。

一部分だけでも「なるほど~」と思って頂けたら嬉しいですし、「いや、私はこう思う!」と思って頂くのも嬉しいです。

この曲の主人公が大切な何かを見つけた様に、あなたにとっての『ナツカレ』を見つけて下さい。

 


それでは。