(「鶏の起源」からの続き)

 

 話を元に戻しますね。もう忘れてしまった方は「胡麻鶏(プリマスロック)」を読み返してください。楽雲のせいで御迷惑をおかけします。

 

 胡麻鶏(プリマスロック)が成鳥になる頃、数が減っている事に気付いた伯父は、野犬か、狐にやられたと思い、柵を強化しましたが、その後も毎日一羽、また一羽と数が減って行くのです。

 

 伯父が仕事でいない間の犯行なのです。おかしいと思い家族に訊ねても誰も知らないとの返事です。弟や妹がそんな事をする筈がないと思い、祖父(父)が耕す畑に行きました。

 

 特に何も無かったのですが、地面に最近掘り返されたと思しき痕跡があり掘ってみると、胡麻鶏の羽毛や鶏骨がワンサカ出て来たのです。そう犯人は祖父母(父母)だったのです。

 

 当然、親子喧嘩の勃発と成った訳ですが、伯父は悲しかったでしょうね。働いているとはいえまだ中学生程の歳なのです。大事に育てていた胡麻鶏だったのですからね。

 

 これだけが原因ではないでしょうが、祖父に対して不信感を持ったのでしょう。母も暫くの間、祖父母に対して嫌悪感を持ったのだそうです。母も胡麻鶏の成長が楽しみだったんですね。

 

 ただ、祖父母の名誉の為に申し上げますが、その当時、祖父母は子供に食事をさせた後の残り物や野菜などで空腹を満たしていた様なのです。

 

 母から聞いたのですが、祖父母が子供達と一緒に御飯を食べている所を見た事が無いと言っています。毎日空腹を我慢していた祖父母の目の前に成長した胡麻鶏が・・・。

 

 初めは一羽位解らないだろうと、泣く泣く手を出したのでしょうが、味をしめたのでしょうね。タンパク質をほとんど食べていなかったのですから、ほんの出来心だったと思います。

 

 考え様によっては、これで生き延びたと言えるかも知れないのです。

 

 これ以来、祖父母とはほとんど話をしなくなった様です。しかし、稼ぎは家に入れ、家族の為に働き続けたのですから、立派と言えるでしょう。

 

 この一点で、私の父とi共通する境遇だったと言えるかも知れませんが、父と伯父は全く反りが合いませんでした。誰とでも気さくに話す父が唯一苦手としていた人でもあります。

 

 会うと父は世間話を向けるのですが、伯父は話をはぐらかして真面な会話にならないのです。それでも父は自分より3歳年下の義兄を無視する事無く我慢強く話しかけていましたね。

 

 父と伯父が違うのは、兄弟付き合いと言えるでしょう。

 

 父は終生兄弟を大事にし、母に家族より兄弟の方を大事にしていたみたいと言われるほどです。それは私も否定しません。兄弟に何かあると直ぐに飛んで行く人でした。でも家族を放ったらかしでは無かったですよ。

 

 方や伯父は父親代わりとなって兄弟の面倒を看たのですが、成人後は一切手出しはしなかった様です。大人になったら自分の足で歩けって事ですよね。これも間違いではないと思います。

 

 その代り、自分の息子と娘には金に糸目をつけない人でした。芸能界は金がかかるのです。言われるのままに出していた様ですので、それだけの財力があった訳です。大したものです。

 

 私が大学の1年(18歳)の夏の終わり、この伯父と話す機会がありました。祖父の七回忌法要の時です。祖父は私が小学校5年(11歳)の夏の終わりに84歳で亡くなっています。

 

 伯父(次男)と伯父(三男)とその息子と私の4人で、浜名湖に水上スキーをしに行こうと言う事になってしまったのです。私はあまり話した事が無かったので辞退したのですが強引に連れていかれたのでした。

 

 まぁ~、私に家の事を聞きたかったのですね。なんだかんだ言っても母(妹)の事が気にはなっていたと言えるのかも知れません。

 

 ところで、この記事の中に過去の記事とは関係なく辻褄の合わない内容があります。皆さんは解りますか。解った方はコメントいただけると嬉しいのですが、楽雲の様に強要は致しません。

 

 ヒントは簡単な算数の問題です。そして常識があれば解る筈なのですが・・・。今は次回のネタバレになるので言えません。

 

(つづく)

 

 

 

 

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白楽雲

 

 

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