(「親子3人の生活」からの続き)
同居する事になった家族は、夫婦と小学校に上がったばかりの長男を筆頭に3人の男の子。奥さんは腰の低い良い人だったのですが、御主人が何かと口煩いひねくれ者だった様です。
そして、3人の子供がやんちゃで、取り分け長男は手が付けられなかった様です。勝手に母屋に入って色々な物をかまい、壊してしまうのです。
父がなけなしの金で姉に買ってやったバービー人形の首が引きちぎられていた事もありました。流石に父が文句を言ったのですが、御主人は取り合おうともせず、逆に切れる始末。
これ以降、玄関とは別の出入り口を造り、母屋に入れない様にしたそうです。入口を分けたとはいえ他人に部屋を貸すと言う事は気を遣うものです。
内職と家事に追われる母としては気が重い生活だった様ですが、姉は全く手のかからない子で、子育ては意外に簡単だと母に思わせるくらいだった様です。親孝行な姉ですね。
姉は9か月で話初め、1歳半を過ぎた頃、ようやく歩き始めた様です。そのせいか、お乳はあまり飲まなかった様です。飲みきれない母乳は父が代わりに飲んでいた様です
(変な事考えるな
)。
いや変な事では無く、搾乳機が無かった当時、これは普通の事だったのです。私も父に習い、娘の食が細かったので、協力しましたよ。
ここだけの話なんですけどね、母乳ってほんのり甘くて美味しいんですよ(毎日おこぼれ貰おうと思って、ワンちゃんみたくジッと待ってたもんな
)。そうそう、まだかな、まだかな、って大人しくね。おい、何言わすねん
。
これだって立派な子育ての一環なんだぞ
(ものは言い様だな
)。息子の時はしてないぞ
(息子が食欲旺盛で待ち惚けって奴な
)。うう~。
どうか皆さん、変な風に誤解しないで下さいね。私は良い経験をさせて貰ったと思っています。改めて母は偉大だと思いました。赤ちゃんにとって命の糧を造り出しているのですからね。
男性のみなさん、機会があったら試してみてください。女性に対する考え方が変わりますよ。最初は私も抵抗感がありました。でも毎晩痛がっている妻を見てられなかったのです。
姉は動き回る子では無く、内職をする母の傍にちょこんと大人しく座ってる良い子でした。だから、母は少々拍子抜けだったのです。
そして、この子は妹の生まれ変わりじゃないのかも知れないと思う様になって行った様です。妹は病で動く事がままならなかったとは言え、こんな大人しい性格では無かったのです。
姉が歩く様に成った頃には母のお腹はかなり大きくなっていました。
それから数か月後の昭和38年(1963年)5月1日。朝、父を送り出した後、生まれると確信した母は用意してあった出産用の荷物を持って自ら歩いて病院に行きました。もうベテランです。
医者はこの妊娠は危険があると言って、諦める様に説得されたのですが、母は絶対に生むと言って聴かなかった様です。私がここに居るのは母の御蔭ですね。感謝してもしきれません。
病院で看護婦さんに夫の勤め先に電話をする様に頼んで、分娩室へ。
父が到着して間もなくの午前10時頃、天地を揺るがすほどの大音声(大袈裟過ぎる
)で産声を上げた私。白楽雲Ⅲ世の誕生です。目出度し×2。
体重3000g強、身長51㎝と極普通の赤ちゃんでした(平凡なだろ
)。.そうだよ。平凡で何が悪い
。時間かけずスポ~ンと生まれたんだぞ。それだけで親孝行だろ。
父は何度も何度も私の股間をのぞき込んではニヤニヤ嬉しそうにしていたそうです。この気持ちは良く解ります。私もそうでした。
流石に娘の股間は恥かしくて見られませんが、自分と同じものを持っているのを確認して嬉しくなるのです。なんででしょうかね。
ここから私達家族の真の歴史が始まるのです(へ~
)。解ってるくせに。
(つづく)
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