(「収束 」からのつづき)


 工場赴任から約二ケ月。すっかり総経理と仲良くなった私ですが、総経理の叔母(父親の末娘)で食堂の責任者のおばさんも、私の好きなものを用意してくれたり、何かと世話を焼いてくれる様になりました。


 ある日おばさんがニコニコしながら「○○先生は結婚まだですね」「そうだよ」「いい子を紹介してあげます」「え~(別に頼んでないし)」。何処の国にも世話焼きな方はいるのですね(有難迷惑なんですが)。


 おばさんが「阿花(中国では若い女性の名前の一字に阿又は亜を付けて呼びます、花ちゃん的な感じです)~」と厨房に声をかけると、一人の女の子が入って来て「何ですか」。おばさんは「この子如何だ」、如何だと言われても・・・


 花ちゃんは会長秘書のリックの管轄の総務部資材係で、食材などの調達を担当している子です。試験用の鉱泉水や私個人用のビールを届けてくれていたので顔見知りです。


 4階の宿舎までビール1ケース運ぶのは大変です。言ってくれれば取りに行くと言っても必ず本人が届けてくれていました。悪い子ではないし、愛想も良く、女性従業員の中で一番接点があったと言えます。


 しかし、私は結婚する気など全くなかったのですが、本人を前にして「嫌だ」とも言えず「いくつですか」(中国で女性に年を聞いても怒りません)と聞くと「24歳です」。中国では数え年を使うので、満23歳です。


 私は33歳でしたので、10歳も若い事になります。「こんな年寄り嫌だよね、おばさんこの子に悪いよ、それに結婚する気が全くないから、ごめんなさい」。「そうかもっと年上がいいのか」て、冗談はよし子さんです(全く・・・)。


 この後も、せっせと鉱泉水やビールを運んでくれるので、日本のお菓子やCD(彼女が酒井法子のファンだったので)をあげたりしてました。私は月に一度、澳門(マカオ)のヤオハンで食料などを調達してましたのでついでです。


 工場赴任二年目の春節(中国の旧正月)を前にしたある日の事です。私は春節と国慶節の年2回、日本に一時帰国していました。中国中がお祭り騒ぎで仕事になりませんので、報告を兼ねた帰国(休暇ではありません)。


 この日は日本に帰る前日です。昼食で食堂にいると、花ちゃんがやって来て、「○○先生は明日帰るんですか?」「そうだよ、春節の後また来るからよろしくね」「私も実家に帰ります」「じゃ~、ゆっくりして来なよ」。


 すると、思いつめた表情で(そう見えたのです)、「実家に帰ったらもうここには戻って来ません」。「会社辞めちゃうの」「親が帰ってこいと言うので帰ります」「そーか、ちょっと寂しくなるなぁ」。正直言うと妹的な存在でした。


 すると、「今日の夜、一緒にお話しても良いですか?」。断る理由は無いので、「いいよ」と言ったものの、「待てよ何の話をするつもりだこの子は?、まさか逆プロポーズでもされるのか、やばいよやばいよ」(白楽雲心の声)。


 そこへビルがやって来て、「○○サン、アナタ、アス、二ホンへ、カエリマスカ(彼は片言の日本語が喋れる様になっています)」て聞かれても、フライト予約したのお前だろ。「アナタ、コンバン、ノミニイキマス」て、そこは聞けよ。


 「あっ、良い事考えた」(心の声)、「ビル、コンバン、オンナノコモサソッテ、カラオケイキマセンカ(何でお前まで片言なんだ)」「OK、没問題(問題ない)」「花ちゃん、君の友達誘って皆でカラオケに行こうよ」、「好的(良いですよ)」。


 カラオケに行けば、女の子は歌に夢中になるから、シビアな話はしなくて済みそうです。ピンチの時、悪知恵が働く白楽雲です。あくまでもピンチの時だけです。それ以外は品行方正で通っています(ホントかぁ)。


 その晩、工場の通勤用マイクロバスを借りて、いざカラオケへ。女の子約5人、男が約10人、後から来る奴らもいるから20人くらいか?。「多ければ多いほど好都合だぜ、上手く行きましたなぁ旦那、全くだぜ、へへ・・・」。


(この続きは後ほど)