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Malie o pu'uwai

自分の中に光があることを思い出そうと奮闘中のフリーランスのセラピストです。

こんにちは

 
 
続きです。
 
 
 
朝の強張りはなく、今回は結節も出来ず、リウマチの検査結果も出ないものの 手が動かなくなりました。
 
以前よりは動くけど、正社員でフルで働くことが難しくなり、その個人サロンでは週3のパートで働くことになりました。
 
パートだけのお給料じゃ生活は難しいので、
他に仕事を探さないといけません。
条件は
 
 
*手に負担がかからないこと
*いつ辞めてもいい仕事であること
*サロンのお客様に合わないように接客業以外
 
 
 
結局、日雇い派遣で宛名シール貼りなど倉庫でお休みの日は働くことにしました。
 
 
性格なのか、事務的な作業は嫌いじゃないので、下町にある倉庫で、パートや社員のおばさま方と楽しく働き、セラピストとしても働いていました。
 
1年近くその形態で働いていて、自分である程度休日をコントロール出来ていたことと、
 
『私の本職はセラピスト
 
と思って働いていたので、ストレスは思ったよりありませんでした。
 
 
 
2015年になり イギリスでの仕事の話が出てきて、イギリス赴任の希望を出すなら正社員の方が良いのでは?と思い、正社員に戻ることを考えていましたが、
 
 
「毎日何人施術したら手が痛くなるのか」
 
「今後、手が動かなくなることは無いのか」
 
 
オーナーに聞かれた時に答えられませんでした。
 
私だってわからない。
正社員に戻っても迷惑をかけないという自信もない。
 
 
それでもオーナーは、私は海外の方がストレス無く働けるのかも と、イギリスのスタッフとの面接の機会を与えてくれました。
 
 
その頃英会話スクールに通ってはいたものの、
面接は電話。
 
ドキドキしながら面接を受けました。
 
 
「あなたには何が出来るの?」
 
という質問に答えられませんでした。
たとえ日本語で聞かれたとしても答えられませんでした。
 
 
自分の技術に自信がない。
私には何もない。
 
 
そこで海外赴任の話は無くなりました。
 
 
まずは日本できちんと働くこと、
技術を少しでも磨いていくことを決め、正社員として戻るためにオーナーと話し、まずひと月 フルで働いて、手が大丈夫そうであれば翌月から正社員で働くことにしようということになりました。
 
 
 
2015年6月。
母から姉が急性腸炎で入院したという連絡が。
 
入院は大変だけど、『急性腸炎』なら緊急性はなさそうだし大丈夫だろうと思っていました。
 
 
 
翌週、母から 父に初期の食道がんが見つかったという連絡がきました。
 
そしてその約2週間後の6月下旬、再び母から連絡がきて、姉がステージⅣのがんであることを聞かされ、次のお休みの日に 姉が入院しているがんセンターに行きました。
 
 
姉に会うのは約10年振り。
私は姉のメールアドレスも知らず、電話番号のみ知っていて、年に一度 誕生日の日に姉からSMSが届くのみの関係。
 
仲が悪いというより、お互い関心がなかったんだと思います。
 
 
 
約10年振りに会う姉は思っている以上に普通で、とても末期がんの患者には見えませんでした。
 
 
ただステージⅣのがんであることと同時に、
余命半年から10ヶ月という告知も受けました。
 
余命のことは姉には言えませんでした。
 
 
そこから姉と毎日メールをし、会わなかった時のことを報告し、月に1〜2回は地元に帰り、入院している日なら病院で、実家にいる時なら実家で姉にマッサージをして、いろんな話をしました。
 
 
私達家族の唯一の救いは、姉が明るかったこと。
 
誰よりも大声で笑い、末期がんにも関わらず担当の先生に、
 
「お酒は飲んじゃダメなんですか
 
と聞くような姉。
(もちろんアルコールは止められ、仕方なくノンアルコールのビールを飲んでましたが)
 
 
 
2015年の夏から姉の抗がん剤治療が始まり、
副作用で毛が抜けてしまっても、
 
「知ってた髪の毛ってあったかいんだよ
「まつげとか眉毛ってすごいんだよ
 
と毛のあることの感動を伝えてくれたり。
 
 
体調が良くなくて、抗がん剤治療をお休みしていると髪が生えてくるので、そんな姉に私も
 
「髪、生えてきたじゃん
 
と普通に言え、姉も

「そうなのアップ

と返せるほど姉は明るかったのです。
 
 
姉はがんが見つかった時はすでに手術ができない状態で、出来る治療は抗がん剤治療のみ。
 
2〜3週間に一度 抗がん剤治療をしていましたが、副作用が収まって体調が良くなると、小学校からの仲良しグループでいろんなところに出かけて行っていました。
 
 
家から遠く離れた向日葵畑に行く時も
 
「だって来年は見れないかもしれないから」
 
と。
 
こってりしたものを食べに行く時も
 
「いつ食べられなくなるかわかんないんだから、食べられるうちに食べておかないと!」
 
と。
 
 
その頃ストレスで胃が痛くてあまり食べられなかった私より食べて飲んで笑っていました。
 
 
もしかしたら私達家族のいないところで
ひとりで泣いていたかもしれない。
 
姉が家族の前で自暴自棄になっていたら、私達はもっと苦しんだかもしれない。
 
本当に明るい姉に救われました。
 
 
 
 
私は自分の手が動かなくなって、
今こうしてマッサージが出来ることが奇跡だと思っています。
健康であることは決して当たり前じゃない と。
 
 
地震や災害、事故や事件で突然命を失うことがあること。
 
身体がきちんと動くこと、
生きていることが奇跡だと思っているので、
今でも毎朝毎晩手を合わせています。
 
 
無事に朝が迎えられたこと。
無事に1日が終えられたこと。
 
 
姉と父が同時期にがんになったことで、
さらに 自分が死ぬ時に後悔しないように生きようと思いました。
 
 
 
例えば毎年見に行く中目黒の桜
 
『混んでるから来年でいっか』
 
と思ったとしても、私だって来年はこの桜が見れないかもしれないと思ったら、多少疲れていても、混んでいても見に行く。
 
美しい満開の桜を見たら
 
『やっぱり見に来て良かった』
 
と思える。
 
 
 
『あの子に連絡しようかなぁ。でも急ぎじゃないからまた今度でいっか』
 
と思っても、後回しにしないで連絡する。
 
 
 
いつかやろう。
また後で。
 
これらを止めるようにしました、
 
 
 
姉にがんが見つかる前、
夏休みを利用してロンドンにマッサージのトレーニングをしてもらいに行くことにしていました。
 
最初のトレーニングから、基本がズレていないかの確認と、マッサージを教えてくれる先生の体調が良いうちに、先生から学べることは学びたいと思って希望しました。
 
 
姉のがんが見つかって、ロンドンに行くか迷いましたが、まだ姉が大丈夫なうちに、マッサージの先生も元気なうちに行くことにしました。
 
 
 
 
姉は小学校からの友達とずっと一緒に遊んでいて、半径2km圏内に幸せがあるような人。
 
かたや私は すぐ側に幸せがないと思っているから、地元をさっさと飛び出し、楽しみや喜びを外に外に求めていました。
 
 
 
そんな姉にロンドンの写真を送り、
お土産を買い、帰国して会いに行ってロンドンの話をしました。
 
 
姉にいつ その時が来てもいいように、
私も母も 姉と一緒に過ごす時間を後悔のないようにしてきました。
 
もちろん奇跡が起こることを祈っていましたが。
(ちなみに父はかなりの初期のがんで、1週間ほどの入院と内視鏡の手術でとれました そして私は7月に無事正社員として戻り、セラピスト一本の生活に戻りましたにこ)
 
 
 
続きます