ブログタイトルに日常とかつけておきながら

全然日常のことを書いていない、放置ブログへようこそゲロー




唐突ですが


先日、私の大好きな人が亡くなりました


もう途方もないくらいかなり長いこと闘病して、再発したり落ち着いたりを繰り返していて


もはやニートのような生活をしている私とは違い、お仕事もバリバリで活躍している人なので、なんでこんなに何度も何度も苦しまないといけないんだろう、と、傍らで苦しくて悔しい思いをしていたのですが…


お別れをしてきました


とっても穏やかなお顔で、ようやく苦しみから解放されたのかな、というのが素直な感想


本人も悔しかったと思うけど、周りの事を第一に考える人なので、親兄妹にすら口にも出さなかったかもしれません


ありがとうという気持ちでいっぱいです




身近な人の壮絶な人生、そして死を目の前にすると、子どもができないことで悩んでいる自分がすごくちっぽけに思えてきました


私は、苦しくて先の見えない不妊治療の末に授かった第一子を亡くす、だなんて、自分の経験したことが不幸中の不幸の極みみたいな感じで周りが見えなくなることがしょっちゅうなんですが…


長年の先が見えない闘病のほうがどれだけ辛いんだろう、と想像もできません

しかも、大事な人たちを残して志半ばで亡くなるなんて


よく、不妊治療の患者とがんの患者は同じくらいのストレスがかかっていると言いますよね



だけど、見方を変えると


不妊治療はやめようと思えばやめて、違う道を歩んで明るい人生にすることができる


がんは、落ち着いてる時に生活を立て直すことができたとしても、今回亡くなった大好きな人のように再発を繰り返したりして、やめたくても自分で見切りをつけることができない…


他にも色んな立場の人からの見方があるから

思うところは人それぞれあると思いますが、


私は年齢にしたらまだ早いけど閉経間近で


もうそろそろ不妊治療の終わりが見えてきているので



今回のこの経験から、気持ちよくスッキリと不妊治療を終えられそうな気がしています


前を向けそう



お坊さんが、この方の死から得られることがたくさんあると思います、というような事をおっしゃっていました



私には生きている子どもがいないけど、他にはたくさんのものを持っています


人に恵まれているし、家も仕事もあるし、不妊治療をするお金もあるし、自由に使える時間もたくさんあるし…


第一に健康そのものです


とっても恵まれている事に感謝です



これからも、自分の持っているものに感謝して生きていきたいと思いますにっこり