マイトレーヤ・ラエルのコメント:
誰でもが銃を持ち、どの国もが核爆弾を持つことは問題ではありません。
問題は生命の尊重、他人への一般的な尊重、そして瞑想、の早い時期の教育です。

誰かを殺すのに銃は必要ないです。普通の包丁で十分です。そして包丁は誰でも持っています。包丁が禁止されたとしても、普通の石で十分で、或は素手ですら誰かを絞め殺せます。

日本と米国の比較がベストな例です:日本では毎年506人が殺されますが米国では12,996人。学校の初期の数年は日本の子供たちは算数ではなく他人を尊重することと丁寧さだけを学びます。

その結果はハッキリしています:米国(とかフランス)に到着すると
攻撃性の程度と尊重の欠如をすぐに感じます。日本に到着すると
並はずれた丁寧さの度合いと他人への尊重をすぐに感じます。

とってもそうなので、西側の人たちはそのことをからかいますが
そうすべきではありません:というのも彼らが自国で危険の中に暮らす理由はまさにそこにあるからです!

その犯罪性を銃所持に結びつけるのは全く愚かです。
日本で銃が合法であったとしてもこの違いはそのままでしょう。

再度云いますが、誰かを殺したい場合は包丁で十分です。
問題は早期に人々を教育して人間を殺すということを考えることすらしないようにすることです。このことは国家でも同じです:何百万人をも殺すのに核爆弾は必要ないです。

米国は第二次大戦以降2千万人を殺しましたがどんな核爆弾も使わないで、というのが最良の例です。もしあらゆる国家が核爆弾を持っていたとしたら米国はどの国をも攻撃するのをためらうでしょう。そしてこの2千万人の人たちは今でも生きていられたのです。

エロヒムは一人の人の生命は全人類よりも大切なことを私たちに
教えてあります。もし核爆弾を持っている全ての国家が全人類を
破壊するリスクとともに何百万人もの人たちを守るとしたら、それがまさにエロヒムの教えなのです!

核拡散に反対している人たちは人類が一人の人よりも重要だと信じています。それはまさにエロヒムの教えの正反対なのです。
非核拡散が一人の人の死につながるのであればそれは受け入れられません。
そしてそれは一人のことではなく何百万人です!
そしてもし核拡散が一人を助けても全人類の破滅につながるのであれば:それはそれでいいのです!
この文章を繰り返して言い過ぎることは決してありません:
”一人の人間の命は全人類よりも大切”。これは私たちの創造者たちからの非暴力の最も大切なメッセージです。というのも全ての大量虐殺は最初に殺された人につながっているからです。ナチに殺された最初のユダヤ人それに続く何百万人を含んでいました。そしてそれをヒトラーはおそらく”付帯的損害”と呼んだことでしょう。
植民地主義者たちによって殺された最初のアメリカインデイアンはそのあとに続く何百万人に等しい、など。。。。

もう一度云いますが、もし核拡散が”一人”の人を救いそれが人類の全破壊につながるのなら:それはそれでいいのです!
というのも生存するために一人の人の死を受け入れる人類は生存するに値しませんから。これが絶対的な非暴力です。
惑星間文明のレベルに到達するために考慮されるべき唯一の価値観です。