忘れてはならない円谷幸吉選手の悲劇 | ラフィーネさんのブログ

忘れてはならない円谷幸吉選手の悲劇

オリンピックの年を迎えるたびに
T生はふと脳裏に一つの記憶が蘇ります。

東京オリンピック(1964)・マラソン銅メダリスト、
円谷幸吉(つぶらや こうきち)選手のことです。

銅メダルを獲得したことで一躍円谷選手はヒーローになり、
次期メキシコ・オリンピック(1968)に向けて、
金メダルへの期待が高まりました。

しかし、この時から円谷選手の歯車は狂いだします。
メキシコ大会開催の年、年が明けたばかりの1月9日、
自衛隊体育学校宿舎の自室にて自殺……。

下記はその時に書かれた遺書の全文です。
名文です! 悲しく心にしみます!

********************
父上様母上様
三日とろろ美味しうございました。
干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様
ブドウ液 養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様
往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様
お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 
幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
(原文ママ、改行T生)
********************

「○○様 ……美味しうございました」
という美しい韻律が、切々と迫ってきます。

「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」
「幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」
最後に書かれた心の奥底の言葉、清冽な魂の発露、
何度目を通しても涙を禁じることができません。

自ら次回は金メダルをと努力をした果ての結果でした。
なぜ歯車が狂っていったのかはここでは書きません。
興味のある方は円谷選手について書かれた本がありますし、
ネットで「円谷幸吉」と検索すれば、
簡単に知ることができます。

そこには東京大会8位、メキシコ大会銀メダルという
君原健二選手のマラソン人生と比較することもでき、
人間ドラマとしても興味深いものがあります。

大きく言えば円谷選手は「国家の威信」、あるいは
「ナショナリズムの高揚」の犠牲になったと言えます。

実は、2回続けてオリンピックに触れたのは、
このことを知っていただきたかったからなのです。

オリンピックによってナショナリズムが高揚する
ことは、今も昔も変わりがありません。
しかし、それは個人の犠牲を極度に強いるもの
であってはならないと考えるからです。

その点、今日では人々の意識が変わってきました。
前々回「『楽しむ』ということ」で紹介しましたように、
選手たちの意識もまた変わってきました。

選手自身が大舞台で“楽しみ”、その結果、
“人々に勇気を与える”という考え方は、
本当にいいことだな、としみじみ思うのです。
日本の社会も成熟してきたのでしょうね。

今日であれば円谷選手は自殺を選択しなかったでしょう。
その意味で円谷選手の悲劇は忘れてはならないのです。

そんな思いをちょっとばかり心の片隅に置いて、
ロンドンオリンピックを楽しみたいと考えたのでした。



ラフィーネさんのブログ