「楽しむ」ということ
間もなくロンドン・オリンピックが始まります。
インタビューや壮行会のニュースを見ていると、
ずいぶんと日本人の意識も変わってきたものだなぁ、と…。
国の威信を背負い、悲壮感あふれる言葉は、
ほとんど聞かれなくなりました。
いいことじゃないでしょうか?
試合に勝利し、感極まった選手たちの言葉にも、
心に残るものがいくつもありました。
近いところでは何と言っても水泳・北島康介選手の、
「チョー気持ちいい!」(2004 アテネ)でしょうか。
いいですねぇ、ストレートで……!
人々がよく使うようになった言葉もあります。
「今まで生きてきた中で一番幸せです」
(200m平泳ぎ・岩崎恭子 1992 バルセロナ)
14歳の女の子、このギャップが微笑ましかった!
「初めて自分で自分をほめたいと思います」
(マラソン・有森裕子 1996 アトランタ)
選考会で成績を残せなかったにもかかわらず、
前回の銀メダリストということで出場。
その批判の中で獲得した銅メダルでした。
それぞれ人間ドラマとしてとらえると
とても興味深いものがありますが、
今回のテーマではありません。
(オキザリス、紫の葉が特徴)
そうした名言集の中にそれほど注目されたわけでは
ありませんが、マラソンの高橋尚子選手の言葉があります。
「とっても楽しい42.195キロでした!」(2000 シドニー)
この「楽しい」という言葉、いいなって思います!
実は子供のころからオリンピックを見るたびに、
アメリカの選手たちに感じていたものだったからです。
スポーツ大国でもあるアメリカはいつもメダルラッシュ。
厳しい練習の成果として手にしたメダルにもかかわらず、
インタビューに悲壮感はなく、その振舞いは楽しげでした。
日本もそんな風潮だといいなと思ったものです。
しかし、この「楽しむ」という言葉、
最近では日本の若者たちもよく使っているようです。
オリンピックに限らず、大舞台を前にして、
よく「楽しんできます」という発言を耳にしませんか?
この「楽しむ」という言葉、T生の感覚では、
20年程前からよく使われるようになったのでは…?
バブル崩壊以降、右肩上がりの高度経済成長が終焉。
苦しいこと、辛いことが増え、
ストレス社会と言われるようになりました。
そんな時の心の持ちようとして「楽しむ」ということが
注目されるようになってきたのではないかと考えています。
「仕事に楽しみを見出す」、「逆境に楽しみを見出す」、
「自分の苦手なもの・嫌なものに楽しみを見出す」。
お説教臭く言われるとかないませんが、
いずれも真理を含んでいるように思われます。
「病気と共に生きる」、この「共生」という考え方にも、
この楽しむという真理が含まれているのではないでしょうか。
その意味で若い世代の人々が「楽しむ」ということを、
ごく普通の感覚として持っているということは、
素晴らしいことだなと思わざるを得ません。
インタビューや壮行会のニュースを見ていると、
ずいぶんと日本人の意識も変わってきたものだなぁ、と…。
国の威信を背負い、悲壮感あふれる言葉は、
ほとんど聞かれなくなりました。
いいことじゃないでしょうか?
試合に勝利し、感極まった選手たちの言葉にも、
心に残るものがいくつもありました。
近いところでは何と言っても水泳・北島康介選手の、
「チョー気持ちいい!」(2004 アテネ)でしょうか。
いいですねぇ、ストレートで……!
人々がよく使うようになった言葉もあります。
「今まで生きてきた中で一番幸せです」
(200m平泳ぎ・岩崎恭子 1992 バルセロナ)
14歳の女の子、このギャップが微笑ましかった!
「初めて自分で自分をほめたいと思います」
(マラソン・有森裕子 1996 アトランタ)
選考会で成績を残せなかったにもかかわらず、
前回の銀メダリストということで出場。
その批判の中で獲得した銅メダルでした。
それぞれ人間ドラマとしてとらえると
とても興味深いものがありますが、
今回のテーマではありません。

(オキザリス、紫の葉が特徴)
そうした名言集の中にそれほど注目されたわけでは
ありませんが、マラソンの高橋尚子選手の言葉があります。
「とっても楽しい42.195キロでした!」(2000 シドニー)
この「楽しい」という言葉、いいなって思います!
実は子供のころからオリンピックを見るたびに、
アメリカの選手たちに感じていたものだったからです。
スポーツ大国でもあるアメリカはいつもメダルラッシュ。
厳しい練習の成果として手にしたメダルにもかかわらず、
インタビューに悲壮感はなく、その振舞いは楽しげでした。
日本もそんな風潮だといいなと思ったものです。
しかし、この「楽しむ」という言葉、
最近では日本の若者たちもよく使っているようです。
オリンピックに限らず、大舞台を前にして、
よく「楽しんできます」という発言を耳にしませんか?
この「楽しむ」という言葉、T生の感覚では、
20年程前からよく使われるようになったのでは…?
バブル崩壊以降、右肩上がりの高度経済成長が終焉。
苦しいこと、辛いことが増え、
ストレス社会と言われるようになりました。
そんな時の心の持ちようとして「楽しむ」ということが
注目されるようになってきたのではないかと考えています。
「仕事に楽しみを見出す」、「逆境に楽しみを見出す」、
「自分の苦手なもの・嫌なものに楽しみを見出す」。
お説教臭く言われるとかないませんが、
いずれも真理を含んでいるように思われます。
「病気と共に生きる」、この「共生」という考え方にも、
この楽しむという真理が含まれているのではないでしょうか。
その意味で若い世代の人々が「楽しむ」ということを、
ごく普通の感覚として持っているということは、
素晴らしいことだなと思わざるを得ません。