ひざの手術 病気自慢?
「病気自慢…!」で座が盛り上がった、
そんな経験はありませんか?
「俺はこんな病気にかかったことがある……!」
「俺なんかこんなケガをして大変だった……!」
落語にでも出てきそうな熊さん・寅さんの
馬鹿げた「俺のほうが大変だった」自慢。
親しい友人同士の戯言(ざれごと)です。
病気で本当に悩んでいる方には失礼な話ですが、
T生にもそんな“病気自慢”があります。
右足のひざ、内側の関節部分に
10cmもの手術跡がいまも残っています。
なにが自慢かって……?
この手術、『失楽園』で一世を風靡した
小説家・渡辺淳一さんの執刀になるものだからです。
かれこれ45年前、中学生の頃でした。
尾てい骨が痛くて座るに座れないので、
近くの総合病院に診てもらいに行きました。
そこに週に何回か来ておられたのが、
当時・札幌医科大学講師をしておられた渡辺さんでした。
病気の発見というのは面白いものです。
実は何年もかかってT生の関節部分が膨らんできていました。
痛くもかゆくもないのでほったらかしでした。
しかし、段々と膨らみが目立つようになっていたのです。
気にはなっていたので、ついでに見てもらいましたら、
尾てい骨はそっちのけ、関節部分の手術を勧められました。
要は、関節の横からあってはならない骨が出ていたのでした。
「かなり大きくなっているのでなるべく早く切除しましょう。
このまま大きくなると神経を圧迫し、ひざから下が不随に
なって、足を切断しなければならなくなりますよ」
親も当人も青天の霹靂でした。
(小石川植物園で人気のハンカチの木)
手術は成功。入院中、看護婦さんから、
「あの先生は小説も書いているのよ」と教えられ、
本が好きだったT生はより親しみを覚えたものです。
回復後はクラブ活動に復帰、全く問題ありませんでした。
よく冗談で「足が短いのはこのせいだ。もしこれがなければ、
あと2㎝は足が長かったのになぁ……(笑)」と、
病気自慢の席で友人を笑わせたものでした。
1968年、札幌医科大学で日本初の心臓移植手術が行われました。
渡辺さんはこれを批判、翌年『小説・心臓移植』を上梓し、
大学を去り、作家活動に専念されることになりました。
奇しくもその年に高校の後輩になったことを、後年、
マスコミで仕事をするようになってから知りました。
病気自慢の因縁話はそんなところですが、
それから30数年を経てT生は再度、
右ひざの手術を受けることになります。
病名は異なり「半月板損傷」です。興味深いのは、
こちらは手術跡の痕跡が全くないという点です。
この違いは患者にとって示唆に富んだものがあります。
(次回に続く)
そんな経験はありませんか?
「俺はこんな病気にかかったことがある……!」
「俺なんかこんなケガをして大変だった……!」
落語にでも出てきそうな熊さん・寅さんの
馬鹿げた「俺のほうが大変だった」自慢。
親しい友人同士の戯言(ざれごと)です。
病気で本当に悩んでいる方には失礼な話ですが、
T生にもそんな“病気自慢”があります。
右足のひざ、内側の関節部分に
10cmもの手術跡がいまも残っています。
なにが自慢かって……?
この手術、『失楽園』で一世を風靡した
小説家・渡辺淳一さんの執刀になるものだからです。
かれこれ45年前、中学生の頃でした。
尾てい骨が痛くて座るに座れないので、
近くの総合病院に診てもらいに行きました。
そこに週に何回か来ておられたのが、
当時・札幌医科大学講師をしておられた渡辺さんでした。
病気の発見というのは面白いものです。
実は何年もかかってT生の関節部分が膨らんできていました。
痛くもかゆくもないのでほったらかしでした。
しかし、段々と膨らみが目立つようになっていたのです。
気にはなっていたので、ついでに見てもらいましたら、
尾てい骨はそっちのけ、関節部分の手術を勧められました。
要は、関節の横からあってはならない骨が出ていたのでした。
「かなり大きくなっているのでなるべく早く切除しましょう。
このまま大きくなると神経を圧迫し、ひざから下が不随に
なって、足を切断しなければならなくなりますよ」
親も当人も青天の霹靂でした。

(小石川植物園で人気のハンカチの木)
手術は成功。入院中、看護婦さんから、
「あの先生は小説も書いているのよ」と教えられ、
本が好きだったT生はより親しみを覚えたものです。
回復後はクラブ活動に復帰、全く問題ありませんでした。
よく冗談で「足が短いのはこのせいだ。もしこれがなければ、
あと2㎝は足が長かったのになぁ……(笑)」と、
病気自慢の席で友人を笑わせたものでした。
1968年、札幌医科大学で日本初の心臓移植手術が行われました。
渡辺さんはこれを批判、翌年『小説・心臓移植』を上梓し、
大学を去り、作家活動に専念されることになりました。
奇しくもその年に高校の後輩になったことを、後年、
マスコミで仕事をするようになってから知りました。
病気自慢の因縁話はそんなところですが、
それから30数年を経てT生は再度、
右ひざの手術を受けることになります。
病名は異なり「半月板損傷」です。興味深いのは、
こちらは手術跡の痕跡が全くないという点です。
この違いは患者にとって示唆に富んだものがあります。
(次回に続く)