外国人と保育園②
T生の子供たちが通っていた保育園は国際色豊かでした。
中国・韓国といった近隣諸国のみならず、
黒い肌、青い目の子供たちも何人かおりました。
子供の世界ですから分け隔てがあるわけでもなく、
多勢に無勢、みな日本語ではしゃいでおりました。
ということで、Fさんの話を聞いても、
保育園通いでの悩みは日本人とさして変わらないようです。
「慣らし保育」という言葉があります。
この話を始めたらZさんの目から涙があふれ、
しばらく止まらなくなってしまいました。
終日一緒だった母子が離れて生活しなければなりません。
当然、幼児は不安に駆られ泣き出します。
そのため最初は子供を迎えに行く時間を早くし、
徐々に時間を延ばして保育園に慣れさせようという作業です。
(一般的な例)
1日目~2日目 11時まで(給食なし)
3日目 12時まで(給食あり)
4~5日目 13時まで(給食あり)
6日目 普通保育
「いろいろな事情から慣らし保育ができなかったのです。
いきなり1日保育でしたので、夕方迎えに行ったとき、
子供が駆け寄ってきたのですが、途中、壁に体を押し付けて、
号泣してしまったのです。とても切なくて……、
その時の情景が思い出されると……(涙)」
この慣らし保育は母子共々デリケートな問題だと言えます。
親の心配をよそにケロッとして遊んでいる子もいれば、
いつまでも親離れできずに泣いている子もいます。
いつまでもぐずる子は下痢気味になったり、
熱を出したりすることもあります。
さらには抗体ができていないので病気をもらう子もいます。
子供の感性は千差万別ですから、心配は尽きません。
(春うらら、保育園児の散歩風景)
このことは「お迎え」にも言えます。
Fさんの場合は問題ないようですが、
こちらもなかなかデリケートです。
公立保育園の場合、特別延長保育を適用しても、
最終は午後7時前後が限度でしょう。
フルタイムで毎日仕事をしている人にとっては、
お迎えの時間はなかなか厳しいものがあります。
我が家はフルタイムでしたので、T生が行く場合は、
だいたい数人しか残っていませんでした。
我が家の子供たちが引き上げると一人になる場合もあります。
そんな時、残される子はやはりさびしさを隠せません。
頭をなぜながら手を取って「バイバイ、またね」と
明るく言うのですが、切ないものがありました。
この時ほど兄弟がいてよかったと思ったことはありません。
我が家が最後の時でも一人になることはないわけで、
子供の味わうさみしさが全然違うからです。
う~ん、保育園を語り始めると話が尽きませんね……。
中国・韓国といった近隣諸国のみならず、
黒い肌、青い目の子供たちも何人かおりました。
子供の世界ですから分け隔てがあるわけでもなく、
多勢に無勢、みな日本語ではしゃいでおりました。
ということで、Fさんの話を聞いても、
保育園通いでの悩みは日本人とさして変わらないようです。
「慣らし保育」という言葉があります。
この話を始めたらZさんの目から涙があふれ、
しばらく止まらなくなってしまいました。
終日一緒だった母子が離れて生活しなければなりません。
当然、幼児は不安に駆られ泣き出します。
そのため最初は子供を迎えに行く時間を早くし、
徐々に時間を延ばして保育園に慣れさせようという作業です。
(一般的な例)
1日目~2日目 11時まで(給食なし)
3日目 12時まで(給食あり)
4~5日目 13時まで(給食あり)
6日目 普通保育
「いろいろな事情から慣らし保育ができなかったのです。
いきなり1日保育でしたので、夕方迎えに行ったとき、
子供が駆け寄ってきたのですが、途中、壁に体を押し付けて、
号泣してしまったのです。とても切なくて……、
その時の情景が思い出されると……(涙)」
この慣らし保育は母子共々デリケートな問題だと言えます。
親の心配をよそにケロッとして遊んでいる子もいれば、
いつまでも親離れできずに泣いている子もいます。
いつまでもぐずる子は下痢気味になったり、
熱を出したりすることもあります。
さらには抗体ができていないので病気をもらう子もいます。
子供の感性は千差万別ですから、心配は尽きません。

(春うらら、保育園児の散歩風景)
このことは「お迎え」にも言えます。
Fさんの場合は問題ないようですが、
こちらもなかなかデリケートです。
公立保育園の場合、特別延長保育を適用しても、
最終は午後7時前後が限度でしょう。
フルタイムで毎日仕事をしている人にとっては、
お迎えの時間はなかなか厳しいものがあります。
我が家はフルタイムでしたので、T生が行く場合は、
だいたい数人しか残っていませんでした。
我が家の子供たちが引き上げると一人になる場合もあります。
そんな時、残される子はやはりさびしさを隠せません。
頭をなぜながら手を取って「バイバイ、またね」と
明るく言うのですが、切ないものがありました。
この時ほど兄弟がいてよかったと思ったことはありません。
我が家が最後の時でも一人になることはないわけで、
子供の味わうさみしさが全然違うからです。
う~ん、保育園を語り始めると話が尽きませんね……。