薬研堀不動院③ 江戸三大不動 | ラフィーネさんのブログ

薬研堀不動院③ 江戸三大不動

薬研堀というユニークな名前を残す薬研堀不動院。

七味唐辛子の中島商店が浅草に移ってしまった今、
もっと知られてもいいのではないかと調べてみました。

まずは薬研堀という地名から解明してゆきましょう。


ラフィーネさんのブログ-yakka

(薬研 やげん 出典:中津市村上医家資料館)

薬研とは薬を細かくつぶすために使われた道具です。
江戸時代、日本橋はそもそも商人の町で、
この辺りは隅田川からの荷揚げ用の堀になっていました。
その堀の形が薬研のくぼみ(V字型)に似ていたことから
そう呼ばれるようになったといわれています。

ここ薬研堀一帯、現在の地名は東日本橋ですが、
地名改正の前は「日本橋薬研堀町」と言っていました。
やはり、以前のほうが味わいありますね。

閑話休題、話題を薬研堀不動院に戻しましょう。
これがなかなか由緒あるお寺だったのです。

川崎大師の東京別院、つまりお大師さん、
弘法大師・空海ですから真言宗のお寺ですね。
そこまでは厄払いの話でお書きしました。

なんと薬研堀不動院は江戸三大不動の一つだったのです!!
「古くから目黒、目白と並ぶ江戸三大不動として知られ、
『江戸名所図会』をはじめ多くの文献で紹介されている」と、
お寺を説明する文書にありました。

しかも本堂の横には歴史ある二つの記念碑が立っています。



ラフィーネさんのブログ-hudou


(記念碑、左①、右②、中央・弘法大師像)

①「天保九年(1838年)順天堂始祖佐藤泰然、
この地に和蘭(オランダ)医学塾を開く」
順天堂とは現在の順天堂大学医学部のことです。
確かに順天堂大学ではこの年をもって開学の年、
この地をもって開学の地としています。

②「講談発祥記念の碑」
元禄の昔、赤松清左衛門が「太平記」を講じ始めた記念碑。
現在のものは再建された記念碑ですが、関東大震災までは、
安政年間に建立された「太平記場起源の碑」があったのでした。

毎月28日のお不動さんの縁日には、
講談協会により奉納講談が行われているとのことでした。
入場無料だそうです。

ということで前回「がんばれ!」などと書いてしまいましたが、
T生の無知のなせるところであったわけです…(-_-;)。
これからは時折お参りに行かなければ……、反省!